人生に悩んだら「日本史」に聞こう31.

From : 田渕裕哉(2025/08/05 04:24:35)

2025年8月5日(火)
おはようございます。今日から熊本です。

リアリティだよ!リアリティこそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり、
リアリティこそがエンターテイメントなのさ。
岸辺露伴

庄内藩の戦後処理に当たったのは薩摩藩です。

かつて三田(東京都港区)の薩摩藩邸を焼き討ちにし、戊辰戦争で
新政府軍に多大な損害を与えた庄内藩。

庄内藩主・酒井忠篤は切腹の覚悟を決めて、白装束で、薩摩藩のボス・
西郷隆盛の前に現れました。生きては帰れないであろう・・・。

負けたボス・酒井忠篤は死を覚悟していました。

しかし、平伏した酒井忠篤が顔を上げると、そこにあったのは・・・。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう30.

From : 田渕裕哉(2025/08/05 04:23:27)

昨日のメルマガの内容を間違えました。訂正します。申し訳ございません。
2025年8月4日(月)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。今日は福島でセミナーです。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザーテレサ

敵、それは当然、憎い存在です。敵を、世代を超えて何百年も憎し
続けている国だってザラにあります。

しかし、戦争の相手を神様として祀り敬うという信じられないケースが
日本にはあるのです。

薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)を中心とする明治新政府勢

会津藩(福島県)、庄内藩(山形県)を中心とする徳川幕府を支えた勢力

この両者の戦いを戊辰戦争といいます。勝ったのは、新政府勢力です。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう29.

From : 田渕裕哉(2025/08/03 06:09:43)

2025年8月3日(日)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。今日は東金に行きます!

解決策がわからないのではない。
問題がわかっていないのだ。
ギルバート・ケイス・チェスタートン

この和歌をしたためたのは「土佐日記」の著者であり古今和歌集の撰者である
紀貫之の娘でした。

この梅の木、もしかしたらお父さんの貫之が愛していた木だったかもしれません。

「大事な梅の木を差し上げるわけにはまいりません」と断れば角が立ちます。

だから、彼女は鶯に自分の想いを託したのです。なんという奥ゆかしさでしょう。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう28.

From : 田渕裕哉(2025/08/02 06:58:54)

2025年8月2日(土)
おはようございます。今朝も小雨の千葉からです。

狭き門より入れ、滅びに至る門は大きく、その道は広く、これより入るもの多し。
命に至る門はせまく、その道は細く、これを見出すもの少なし。
聖書(マタイ伝第七章十三節)

今から1000年以上さかのぼった歴史物語「大鏡」のなかに、
粋な話があります。

毎年美しい花を咲かせていた京都御所の梅の木が、枯れてしまいました。

平安文化を開花させた天皇として知られる村上天皇は、それを残念に思い、
代わりの梅の木を見つけるように命じました。

係の者が都中を訪ね歩いて、立派な梅の木を見つけます。

そうして移植された梅の木は、見事な花を咲かせ、京都御所は再び芳しい
香りに包まれました。

大満足の村上天皇。でも、ふと梅の木に視線を移すと、一本の枝に
文が結びつけられていました。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう27.

From : 田渕裕哉(2025/08/01 06:23:50)

2025年8月1日(金)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

科学的研究は最も単純には「問題+解答」とモデル化することができ、私たちは課題に対してよい解答を得るべく努力する。
しかし、より重要でより困難なことは「如何にしてよい問題をつくるか」である。
野依良治

磨きあげた感性から自然に出てくる所作を「江戸しぐさ」といいます。

江戸しぐさの「しぐさ」とは「思草」と書きます。

「思」は「思案」「思慮」「思想」などの「思」。

「草」は「言い草」などの言葉に使われる「草」と同じで「行為」のこと。

つまり、「思草」とは「思いと行動は一つ」ということです。

粋な大人とは、他人を思いやる感性を持ち、それを瞬時に表現できること。

江戸っ子たちはそんな粋な大人を目指していたのです。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう26.

From : 田渕裕哉(2025/07/31 07:10:34)

2025年7月31日(木)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

何ができるかでなく、何が知りたいか。
本庶佑

江戸の粋な生き方の例を、江戸しぐさからも探ってみましょう。

人とすれ違うときには、お互いが右肩をスッと引く。

これは、肩と肩がぶつからずにすむ「肩引き」と呼ばれる所作です

雨の日にすれ違うときには、相手の足元に傘のしずくが落ちないように、
傘を外側に傾けます。これは「傘かしげ」と呼ばれていました。

乗り合い舟が混んできたら、江戸っ子たちは握りこぶしひとつ分ぐらい
腰を浮かせて、さりげなく席をつめていきます。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう25.

From : 田渕裕哉(2025/07/30 06:24:39)

2025年7月30日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。今日は東京でセミナーです。

僕は子供から成長しなかっただけなんだ。
「どのように」とか「なぜ」といった質問を今でも聞き続けている
たまに、答えを見つけるんだ。
スティーブン・ホーキング

粋に生きていた江戸っ子たちですが、実は借金まで粋でした。

江戸時代も、お金を借りたときには、当然、借用書を書くのですが
これが欧米なら、期日はいつで、それまでに返せなかった場合は
利子がこう、担保はこうと、膨大な但し書きが加えられます。

ところが、江戸時代に交わされた但し書きは違うんです。

江戸時代は、期日までに返せなかった場合の但し書きに、なんて
書いたと思いますか?

「お笑いくだされ」この一言だけなんです。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう24.

From : 田渕裕哉(2025/07/29 07:30:03)

2025年7月29日(火)
おはようございます。今朝はいい天気の越後湯沢からです。

論理はA地点からB地点まであなたを連れて行ってくれる。
想像力は、あなたをどこへでも連れて行ってくれる。
アルベルト・アインシュタイン

足を踏まれて「あいたたた・・・」。

こんなとき、足を踏んだ人が謝るのは当然ですが、足を踏まれた人
「ごめんなさい」と謝る。これが粋な江戸っ子でした。

踏まれた人が謝るんです。「私がボーッとしていたのも悪かったんです。
こちらこそごめんなさい」というふうに。

これは「うかつあやまり」と呼ばれた江戸の作法「江戸しぐさ」の一つです。

足を踏まれたほうが謝る。これって「正しい」か「正しくない」で考えたら、
たぶん正しくないでしょう。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう23.

From : 田渕裕哉(2025/07/28 06:34:40)

2025年7月28日(月)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。今日は越後湯沢に行きます。

なんとなく良さそうなことを眺めている暇はない。
考えるべきは、どうすれば最高の成果が出せるかということだ。
グレッグ・マキューン

恩が血液のようにぐるぐるめぐっている日本列島。

だから、日本人は「ご縁」を大事にするし、日本語には
「おかげさま」という他の国にはない言葉があります。

北里柴三郎は、福沢諭吉が創設した慶應義塾の、新設の
医学部の教授陣に、志賀潔をはじめ、ハブの血清療法で
有名な北島多一など、北里研究所の名だたる教授陣を
惜しげもなく送り込みました。

慶應が、私立の大学でありながら、日本医学界で絶大な
存在感を示しているのは、このような経緯があったからです。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう22.

From : 田渕裕哉(2025/07/27 07:02:00)

2025年7月27日(日)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての“真実”の疑いから始まる。
フリードリヒ・ニーチェ

サブローの熱意に心を動かされた諭吉は、研究の場を無償で提供することを
即決し、私財を投じて港区芝公園に研究所を建てます。

その後、研究所は愛宕町に移転、が、ここでもまた問題は勃発します。

「伝染病」という言葉に過剰に反応した地域住民たちから、猛烈な反対の
声が上がったのです。

このピンチを救ったのも福沢諭吉でした。

不安にかられる住民たちに安全をアピールするために、研究所のす
隣りに、なんと自分の息子の家を新築したのです。 >>>続きはこちらから