超葉隠論8.

From : 田渕裕哉(2025/02/14 05:53:33)

2025年2月14日(金)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

自分に人を疑う心が起こった時、ちょっと自分を振り返って、
疑う心の起こる理由を自分に尋ねよう。

私は、葉隠的な覚悟を身に付けようともがく人生を送って来た。

それによって私は自己のこの世における存在理由のすべてを
知ったのである。

魂に降り注ぐ一つの宇宙エネルギーである「覚悟」と対面を
続けることによって、私は自己の生命の実存に触れることが
できるようになった。

魂の力とは、そのどれか一つとでも、まともに対決すれば、
その全貌に触れることが出来るようになる。 >>>続きはこちらから

超葉隠論7.

From : 田渕裕哉(2025/02/13 08:29:17)

2025年2月13日(木)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

やろうとする意志の深さよりも意志の方向を自分に問え。
その方向が心の内に自ら振り返って恥ずかしくないと思うならば、
それが成功というべきものではないか。

このような偉大な助右衛門の覚悟というエネルギーと対決すれば、
それが徐々に自己の魂の中に流体として浸潤して来るという感覚を
味わうことになるだろう。

はっきりと認識することの出来ない流体であるがゆえに、そのよう
エネルギーは物理的にも「暗黒流体」(ダーク・フルーィト)と
呼ばれているのだ。

それは助右衛門を助右衛門たらしめたエネルギーと言ってもいい。

そのエネルギーが徐々に私を浸して来るのだ。

この感覚を掴まなければ、葉隠のような偉大な思想は自己の中に
入って来ない。

私はもちろん、まだ葉隠の崇高に至っていることはない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論6.

From : 田渕裕哉(2025/02/12 05:16:38)

2025年2月12日(水)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

人物の価値を測る基準は、人格を重視すべきである。
その人のした仕事よりも、その人の性格を重くみることである。

私は助右衛門の話の事実によって、覚悟というものの本質を仰ぎ見ることが出来た。

その日から私は、この覚悟に近づく人生を送りたいと思いながら生きて来たのだ。

私が苦悩の人生を歩んで来たのは、このような理由による。

助右衛門の述べた覚悟は、人間にはほとんど到達不能に近い覚悟である。

それが葉隠の覚悟なのだ。

私はこのような崇高な事実を知ってから60年に亘って、自己の持つ卑しさと
日々対決しながら生きてきたのである。 >>>続きはこちらから

超葉隠論5.

From : 田渕裕哉(2025/02/11 06:10:15)

2025年2月11日(火・祝)
おはようございます。今日は祝日ですね!千葉も寒いです。

善い意味のプライドとは、自分の心を潔く守るように努力することである。
悪いプライドは、他を侮り、見下げ、いばることである。
本当は持たない者なので、感情的に持つ者をねたんだり、恨んだり、憎んだりするのである。

覚悟ということについて、この世で最も崇高で厳しい出来事が歴史に刻まれている。

それは鍋島助右衛門切腹の儀と伝えられた実話である。

この物語は、理不尽な罪によって佐賀藩主鍋島勝茂から切腹を申し付けられたひとり
の古武士の、魂の葛藤をあますところなく伝えるものと言えよう。

そしてこの古武士が、武士道において、あまりにも偉大だったことによって巻き起こ
された「悲劇」が我々の涙を誘うのだ。

鍋島助右衛門の切腹に伴って、妻子を含めその一族郎党19名が殉死したのである。

私は、これを父祖の流した歴史の涙として、一日も忘れたことはない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論4.

From : 田渕裕哉(2025/02/10 05:59:42)

2025年2月10日(月)
おはようございます。今日は娘の誕生日です!

目的を高き理想に置くならば、これに達する道は一つではない。
目的によってはあり余るほどこれに達する道がある。

孤独だけが、自己の魂を守る力をもつ。

その生き方は、自分自身の存在に対する覚悟を決めたときに始まった。

私の人生とは、この覚悟が織り成した道程と言っても過言ではない

私のすべての生命活動は、この葉隠の思想に向かって行われている

私の持つすべての知識は、この葉隠の本質的理解のためにのみ志向されている。

私の人生の思い出のすべては、この葉隠の中にしかない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論3.

From : 田渕裕哉(2025/02/09 07:35:18)

2025年2月9日(日)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

目的を勝敗以上の高所に置け。一生の目的を高きに置いてこれを追えば、
途中の障害は多いようでも多くないものと思える。

葉隠的人生を支える形而上学的基礎は、魂の尊厳が人間存在のすべての価値
だと信ずる考え方にある。

この思想は、物質主義の完全否定である。

そして、人間の魂がもつ力への絶対的信頼によって成り立っている

この魂を支える力こそが「負のエネルギー」で構成されているのだ

その負の宇宙エネルギーの力を絶対的な価値とみなしているところ
魂の絶対的尊厳がある。

我々の魂は、負のエネルギーの働きによって、愛や義や信のために肉体を
投げ捨てることが出来るようになる。

その力を絶対視する思想が葉隠れを貫いているのだ。 >>>続きはこちらから

超葉隠論2.

From : 田渕裕哉(2025/02/08 05:44:45)

2025年2月8日(土)
おはようございます。今朝も一段と寒い朝の千葉からです。

思うところは目的以上に置け。天に登ろうとして、ようやく屋根に登るようなものである。

魂が肉体を支配していく過程を「超越的収斂」と呼んでいる。

覚悟がもたらす苦悩と悲痛が、魂の奥底に吸い込まれていく
過程と言えよう。

それらの涙を、魂が吸収することによって、肉体を乗り越えた
自己が出現する。

もちろん、それは完成して終わるものではない。

この状態を維持し発展させることに、葉隠的人生の真の意義がある>>>続きはこちらから

超葉隠論1.

From : 田渕裕哉(2025/02/07 04:53:21)

2025年2月7日(金)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

理想を行動に移すことが人生である。理想なしにぶらぶら流れのままに
生きているのでは、存在するというだけで、人間の生活をしているとは言いがたい。

自己の生命の本当の価値に気付かなければならない。

それがなければ、すべてがない。

それも、本当に生き切ること。本当に死に切ること。

そして永遠の魂を掴み取ること。

そのような人生を必ず送るのだという決意だけが大切なのである。

その決意が本物のとき、それを覚悟と呼ぶのだ。

覚悟のない者に、未来はない。 >>>続きはこちらから