超葉隠論12.

From : 田渕裕哉(2025/02/18 07:48:34)

2025年2月18日(火)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

他人にどのような欠点があっても、程度が違うにしても、
同じ人間である以上は、自分にも必ずいくぶんの同じ欠点がある。

孤独は、自己の魂と、自己の実在という自己存在に係わる
あらゆる環境との対立によって、初めて実現することが出来る。

この孤独を、自分が創り出せるかどうかにすべてがかかっているのだ。

これを創り、それを自己の裁量で維持できれば、自分は徐々に
葉隠的人生を会得していくことが出来るだろう。

出来なければ、葉隠は遊び半分の下らない道徳と何ら変わらないものに
堕してしまう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論11.

From : 田渕裕哉(2025/02/17 07:13:59)

2025年2月17日(月)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

それぞれの人格を尊敬しよう。あの人も人である。
いや、神である。自分も人である。自分の好まないことは人も好まない。

覚悟に集中する日々を送るのである。

そのときの感覚を、私は宇宙の暗黒流体が自己の存在の中に
侵潤して来ると捉えているのだ。

その感覚を分かってほしいと願っている。

葉隠の思想と自己が対峙し続ければ、必ずそのような状態に
なって来るのだ。

その状態が、孤独の中でしか行なわれないということの
重要性を知る必要がある。

日々の気晴らしに現を抜かしている人間は、この覚悟という
魂の崇高と出会う日は永遠にない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論10.

From : 田渕裕哉(2025/02/16 07:19:56)

2025年2月16日(日)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

恥じるより改めることが大切。
恥ずかしいと思うだけに止まるならば、何の効果もない。
名誉と恥は外部の状態から来るものではない。
自分のするべき義務を尽くせ。名誉は自らその中にある。

深い孤独だけが、真の愛を培うことが出来るように私は感じている

多分その愛が、自己存在に関わる本当の覚悟というものを生み出し
くれるのだろう。

人生は、自己の存在に対して本当の覚悟をもとうと決意することか
始まるのだ。

覚悟とは、一つの自己責任でもある。

人生のすべてを自己責任で全うする決意である。

それがあって、初めて本当の人生が出発する。 >>>続きはこちらから

超葉隠論9.

From : 田渕裕哉(2025/02/15 07:54:59)

2025年2月15日(土)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

「心にやましい点があるか」と自分を常に振り返り、弱点の末の
末まで隠すことはできないことを心得れば大いに気が澄んで来る。

葉隠はただひたすらに、崇高な魂のあり方だけを説いている。

だからこそ、葉隠を一つの宇宙的エネルギーと捉えなければ、
我々はそれに親しむことは出来ないのだ。

宇宙から我々の魂へ降り注ぎ、人類の存在理由を創り上げた
負のエネルギーの感知なくして葉隠の思想は分からない。

葉隠は我々が肉体的な日常生活を超越して、魂の崇高に向かう
ことへの祈りが込められた書物なのだ。

覚悟をもつという魂の価値が、この壮大な書物の底辺を支えている>>>続きはこちらから

超葉隠論8.

From : 田渕裕哉(2025/02/14 05:53:33)

2025年2月14日(金)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

自分に人を疑う心が起こった時、ちょっと自分を振り返って、
疑う心の起こる理由を自分に尋ねよう。

私は、葉隠的な覚悟を身に付けようともがく人生を送って来た。

それによって私は自己のこの世における存在理由のすべてを
知ったのである。

魂に降り注ぐ一つの宇宙エネルギーである「覚悟」と対面を
続けることによって、私は自己の生命の実存に触れることが
できるようになった。

魂の力とは、そのどれか一つとでも、まともに対決すれば、
その全貌に触れることが出来るようになる。 >>>続きはこちらから

超葉隠論7.

From : 田渕裕哉(2025/02/13 08:29:17)

2025年2月13日(木)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

やろうとする意志の深さよりも意志の方向を自分に問え。
その方向が心の内に自ら振り返って恥ずかしくないと思うならば、
それが成功というべきものではないか。

このような偉大な助右衛門の覚悟というエネルギーと対決すれば、
それが徐々に自己の魂の中に流体として浸潤して来るという感覚を
味わうことになるだろう。

はっきりと認識することの出来ない流体であるがゆえに、そのよう
エネルギーは物理的にも「暗黒流体」(ダーク・フルーィト)と
呼ばれているのだ。

それは助右衛門を助右衛門たらしめたエネルギーと言ってもいい。

そのエネルギーが徐々に私を浸して来るのだ。

この感覚を掴まなければ、葉隠のような偉大な思想は自己の中に
入って来ない。

私はもちろん、まだ葉隠の崇高に至っていることはない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論6.

From : 田渕裕哉(2025/02/12 05:16:38)

2025年2月12日(水)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

人物の価値を測る基準は、人格を重視すべきである。
その人のした仕事よりも、その人の性格を重くみることである。

私は助右衛門の話の事実によって、覚悟というものの本質を仰ぎ見ることが出来た。

その日から私は、この覚悟に近づく人生を送りたいと思いながら生きて来たのだ。

私が苦悩の人生を歩んで来たのは、このような理由による。

助右衛門の述べた覚悟は、人間にはほとんど到達不能に近い覚悟である。

それが葉隠の覚悟なのだ。

私はこのような崇高な事実を知ってから60年に亘って、自己の持つ卑しさと
日々対決しながら生きてきたのである。 >>>続きはこちらから

超葉隠論5.

From : 田渕裕哉(2025/02/11 06:10:15)

2025年2月11日(火・祝)
おはようございます。今日は祝日ですね!千葉も寒いです。

善い意味のプライドとは、自分の心を潔く守るように努力することである。
悪いプライドは、他を侮り、見下げ、いばることである。
本当は持たない者なので、感情的に持つ者をねたんだり、恨んだり、憎んだりするのである。

覚悟ということについて、この世で最も崇高で厳しい出来事が歴史に刻まれている。

それは鍋島助右衛門切腹の儀と伝えられた実話である。

この物語は、理不尽な罪によって佐賀藩主鍋島勝茂から切腹を申し付けられたひとり
の古武士の、魂の葛藤をあますところなく伝えるものと言えよう。

そしてこの古武士が、武士道において、あまりにも偉大だったことによって巻き起こ
された「悲劇」が我々の涙を誘うのだ。

鍋島助右衛門の切腹に伴って、妻子を含めその一族郎党19名が殉死したのである。

私は、これを父祖の流した歴史の涙として、一日も忘れたことはない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論4.

From : 田渕裕哉(2025/02/10 05:59:42)

2025年2月10日(月)
おはようございます。今日は娘の誕生日です!

目的を高き理想に置くならば、これに達する道は一つではない。
目的によってはあり余るほどこれに達する道がある。

孤独だけが、自己の魂を守る力をもつ。

その生き方は、自分自身の存在に対する覚悟を決めたときに始まった。

私の人生とは、この覚悟が織り成した道程と言っても過言ではない

私のすべての生命活動は、この葉隠の思想に向かって行われている

私の持つすべての知識は、この葉隠の本質的理解のためにのみ志向されている。

私の人生の思い出のすべては、この葉隠の中にしかない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論3.

From : 田渕裕哉(2025/02/09 07:35:18)

2025年2月9日(日)
おはようございます。今朝も寒い朝の千葉からです。

目的を勝敗以上の高所に置け。一生の目的を高きに置いてこれを追えば、
途中の障害は多いようでも多くないものと思える。

葉隠的人生を支える形而上学的基礎は、魂の尊厳が人間存在のすべての価値
だと信ずる考え方にある。

この思想は、物質主義の完全否定である。

そして、人間の魂がもつ力への絶対的信頼によって成り立っている

この魂を支える力こそが「負のエネルギー」で構成されているのだ

その負の宇宙エネルギーの力を絶対的な価値とみなしているところ
魂の絶対的尊厳がある。

我々の魂は、負のエネルギーの働きによって、愛や義や信のために肉体を
投げ捨てることが出来るようになる。

その力を絶対視する思想が葉隠れを貫いているのだ。 >>>続きはこちらから