超葉隠論43.

From : 田渕裕哉(2025/03/21 07:26:32)

2025年3月21日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

指導者の心得20.
指導者は一度決心してもそれをみずからたえず強めなくてはならない。

「毎朝毎夕、改めては死に当たらめては死ぬ」

この日々の死は、その苦悩と悲痛を耐え抜くための心がけと言ってもいい。

真に生きるために、弱い自己を日々殺さなければならない。

我々が、自己の魂の中に真の恋愛の心を維持することは並大抵ではない。

我々は死に続けなければ、幸福の誘惑にからめ取られてしまう危険が大きいのだ。

詩人アラゴンは愛と幸福の本質について歌っていた。 >>>続きはこちらから

超葉隠論42.

From : 田渕裕哉(2025/03/20 07:21:00)

2025年3月20日(木・祝)
おはようございます。今朝はいい天気の博多からです。

指導者の心得19.
指導者は温厚で、善良で、恭順で、倹素で、謙虚でなければならない。

利害打算の愛を克服しなければならない。

それが葉隠の言う忍ぶ恋の本質だと私は思っている。

結ばれる恋愛は、結局は利害打算に陥ることが多いのだ。

決して結ばれることのない恋こそ、自己のもつ最も純粋な
魂を存続せしめるのだろう。

恋愛に人が感動するのは、その悲恋のゆえではない。

利害打算に陥ることのなかった、その純愛の魂に感動しているのだ>>>続きはこちらから

超葉隠論41.

From : 田渕裕哉(2025/03/19 07:09:56)

2025年3月19日(水)
おはようございます。今朝は博多からです。今日は鹿児島に行きます。

指導者の心得18.
指導者は「主役はプレーヤー」であり、指導者は「脇役でサポーター」
という立場を持たなければならない。

苦しく悲痛なるもののほかに、真の恋愛はない。

それ以外の恋愛らしきものはすべて、本人の利害打算に過ぎない。

それもまた人生の必要悪だとは思うが、その自覚と認識がことの
ほかに大切なものとなる。

しかし、この自覚は現代において、ほとんど無いように私は感じている。

利害打算は、地上の最も汚れ果てた汚物である。

これが葉隠が蔑む最大のものの一つと言っていいだろう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論40.

From : 田渕裕哉(2025/03/18 06:58:02)

2025年3月18日(火)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得17.
指導者は公の立場に立ってきびしい要求を持たねばならない。

「一生忍んで、思い死にする事こそ恋の本意なれ」

これが忍ぶ恋をもち続けるためには大切な思想となる。

日々において自分の死に向かう人生の自覚がなければ、
憧れと恋愛は決して忍ぶ恋には成り得ないのだ。

死の観念が、地上の愛を忍ぶ恋の崇高に結び付けていく。

この世の生が、この世の生でしかないと考えている者に
忍ぶ恋はない。

この世とは、過去が投影された世界であり、また永劫の
未来へ向かう出帆の場所だという認識が、忍ぶ恋の思想
を支えている。 >>>続きはこちらから

超葉隠論39.

From : 田渕裕哉(2025/03/17 07:42:43)

2025年3月17日(月)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得16.
指導者には断固事をやりぬく気迫が大切である。

葉隠の言う「忍ぶ恋」は、沈黙の愛である。

そして、それが自分の身を裂く本物の苦悩を伴う愛である以上、
そのすべてが「忍ぶ恋」となるのだ。

一生に亘って口に出すことも出来ぬ愛。

相手のためにすべてを捧げ尽くす愛。

これらすべてが、自己の武士道である「忍ぶ恋」を創り上げる
ことになる。 >>>続きはこちらから

超葉隠論38.

From : 田渕裕哉(2025/03/16 07:17:40)

2025年3月16日(日)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

指導者の心得15.
指導者は真実を直感的に見抜くカンを養わなくてはならない。

魂の無限上昇を伴わぬ恋愛はすべて、葉隠の言う恋愛ではない。

自己の運命に向かっていることを信ずるに足る、何ものかを
感じているかどうかの問題である。

何ものかを待っている魂だ。

魂を震わす何ものかの到来を待つその心こそが、永久恋愛の
根源を創ることになる。

何ものかの到来を待つ「祈り」が、本当の恋愛を生み出す。

それを現わす最も有名な恋愛が、日本武尊とその妃・弟橘媛の
「永遠の愛」だろう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論37.

From : 田渕裕哉(2025/03/15 07:44:23)

2025年3月15日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得14.
指導者は何ごとに対しても深い感謝報恩の念を持たねばならない。

永久恋愛とは、無限の彼方に向かう遠い憧れに生きることを言う。

憧れは、遠いともしびを見つめて生きることに他ならない。

遠いともしびを見つけることは、魂の崇高さを仰ぎ見続けることと
言ってもいい。

その生き方の中から、特に憧れの地上的展開を重んずる事柄を永久
恋愛と名付けているのだ。

これは恋愛の本質である宇宙的実存の地上的展開と表せるものでもある。 >>>続きはこちらから

超葉隠論36.

From : 田渕裕哉(2025/03/14 07:13:25)

2025年3月14日(金)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得13.
指導者はいいことよりも悪いことを喜んで聞くようにしたい。

私は死ぬ日まで、体当たりを徹底的に続ける所存である。

それが出来るのは、自己の人生が中途挫折でよいと思っているからに他ならない。

未完の人生、中途挫折の人生を受け入れることによって、真の体当たりが生まれる。

人生で勇気が最も大切なものだと言われる所以がここにある。

犬死を受け入れて生まれる勇気こそが、生命の完全燃焼を成し遂げさせてくれるのだ。

これを阻害するものが、現代を覆う成功思想と幸福思想である。

それらの考え方が、無闇と他者に認められたいと思う心情を生み出す。 >>>続きはこちらから

超葉隠論35.

From : 田渕裕哉(2025/03/13 07:12:28)

2025年3月13日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得12.
指導者には適度のきびしさとやさしさが必要である。

葉隠は未完の人生、つまり犬死の人生を受け入れることを要求している。

人間として真の自由を得るか、また屈従の日々を選ぶかの問いを突き付けている。

パトリック・ヘンリーは「自由か、しからずんば死か!」と言った

生命が真に生きるには、基本的に命懸けの自由を得る必要があるのだ。

命よりも大切なもののために生きてこそ、初めて人間の人生と言えるものが出来る。

犬死や中途挫折、つまり未完の人生を恐れたら、すでに挑戦すら出来ないことになるだろう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論34.

From : 田渕裕哉(2025/03/12 07:59:15)

2025年3月12日(水)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

指導者の心得11.
指導者は自他相愛、共存共栄の精神を持たなくてはならない。

葉隠は、自らのもつ徹底的な不合理によって、却ってこの世の合理に敵ったもの
ともなっている。

徹底的な思想と行動は、陰陽逆転を招き、徹底的な科学性すら生み出すのである。

葉隠とは、その不合理さえ信ずれば、このような力を内包する書物なのだ。

「我々は聖霊に向かっていくのだ」これが葉隠の「永久燃焼論」なのだ。

死に向かって、生の限りを尽くす体当たりの貫徹ということである

聖霊に向かって行くとは、崇高な死を迎えたいということである。 >>>続きはこちらから