From : 田渕裕哉(2025/04/20 05:49:48)
2025年4月20日(日)
おはようございます。今朝は涼しい朝の千葉からです。
指導者の心得50.
指導者には一身を捨て他を生かす心意気がほしい。
葉隠の理想を、この世に打ち立てる苦悩が私の青春を覆い尽くして
そして断じて行なうその決意すら、否定されていく。
私は地獄へ落ちる決意すら固めていた。
それでもまだ葉隠には突き離されるのだ。
私は自分が、いかなる悪人となろうが、いかなる馬鹿者となろうが
この世において、葉隠を実行する決意でいた。
それでも、駄目だと言われる。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/19 07:37:53)
2025年4月19日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得49.
指導者はつねに誠心誠意ということを心がけなくてなならない。
革命の日々を戦う覚悟について、山本常朝は言葉を割いているよう
その最も地上的で革命的なものと思われる言葉が「葉隠十戒」の第
ここにおいて常朝は、その「死に狂いの思想」の現世における適用
いるのだ。
この現世における日常的な適用において、葉隠の「垂直的下降」が
こととなる。
我々が地上的実在として葉隠を実行するとき、その思想が、まずは
として認識されるということを言っている。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/18 05:52:17)
2025年4月18日(金)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得48.
指導者はどんな人にも使い道があることを知らなければならない。
ローマ帝国の哲人プロチノスは、その「エネアデス」において、
「偉大にして最後なる戦いが、人間の魂を待ち受けている」
と語っている。
あの根源的一者の思想を確立し、キリスト教新プラトン主義という
ヨーロッパの源流となる考え方の一つを築いた人間の言葉である。
その深淵を、日々見つめ続けなければならない。
私は葉隠の現代的展開を考えるとき、いつでも「葉隠十戒」と共に
このプロチノスの言葉を思い出しながら、現世との戦いを決意して
From : 田渕裕哉(2025/04/17 07:40:34)
2025年4月17日(木)
おはようございます。今朝も博多からです。今日は熊本です。
指導者の心得47.
指導者はその仕事が好きでなければつとまらない。
葉隠とは、日常を突き抜ける思想である。
それは日常の中に、非日常を突き立てることなのだ。
我々はそれを考え続けて来た。
そう生きたいと願い、そう死にたいと願っている。
そういう人間だけが、この本を読んでくれているに違いない。
葉隠的人生とは、永久の革命に向かって生きることに他ならない。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/16 05:25:42)
2025年4月16日(水)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。
指導者の心得46.
指導者は人を信頼し思い切って使うことが大事である。
葉隠の思想の根幹には、生命の垂直的生き方を問う
という本質がある。
この垂直的な思考には、自己自身を中心点として
上昇して行く垂直と、下降する垂直があるのだ。
歴史的に見れば、この下降側への垂直的生き方が、
武士道のもつ暗黒面として扱われることが多い。
そして、地上的な悲痛を伴って伝えられる場合が
多々見受けられるのである。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/15 05:34:32)
2025年4月15日(火)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。今日は山口です。
指導者の心得45.
指導者はつねに身を正し信用を高めなくてはならない。
忍ぶ恋は、純愛が自己の存在そのものと化する。
断じてそれを行なう覚悟が問われるのだ。
忍ぶ恋で生きる覚悟、そして忍ぶ恋で死ぬ覚悟を
我々に問うているのである。
忍ぶ恋とは、愛や義や信をただ断行することではないのだ。
それらが、自己の存在そのものとなるところまで
行かなければならない。
つまり、それが負のエネルギーの体得である。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/14 06:57:32)
2025年4月14日(月)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
新しい1週間の始まりですね。今日は長岡でセミナーです。
指導者の心得44.
指導者はじっと時を待つ忍耐心を持たなくてはならない。
暗黒流体は、宇宙に遍満する負のエネルギーとも呼ばれている。
その力で我々人間の魂が形成されている。
そしてその魂が、我々の肉体を支配するとき、そこに人類の
輝かしい文化が体現されていく。
その文化の中心的存在として、私は武士道と葉隠について話してい
負のエネルギーが浸潤していく過程こそが、我々人間の鍛錬と
呼ばれるものなのだろう。
その浸潤が、我々の存在のすべてを支配したとき、我々は本当の
意味で葉隠的人生を送ることが出来るようになるに違いない。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/13 06:08:04)
2025年4月13日(日)
おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。
指導者の心得43.
指導者は失敗は本来許されないというきびしい考えを持ちたい。
恋の悲痛が、自己と宇宙を「我と汝」の関係を導き入れるのだ。
そこにおいて、初めて人間は永遠を掴み取ることが出来るのでは
ないだろうか。
そして永遠を感ずることによって、我々は真に何ものかを待つ
ことが出来るようになる。
この「我と汝」の関係は、他者の介入を許さない。
そこに忍ぶ恋の生命的本質があるに違いない。
忍ぶ恋は、自己と宇宙、そして自己と文明の間に「我と汝」の
関係を構築する力を持っているのだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/12 07:03:01)
2025年4月12日(土)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得42.
指導者は私情をすて、適切な賞罰を行なわなければならない。
何ものかを恋することに、人生のすべてをかけるのだ。
初めに恋がなければ、愛は生まれない。
真の武士道は、恋に始まって愛の実現によって終わる。
その愛の実現が、切腹であることも有り得るということに
なるのだろう。
葉隠は愛の問題を扱っている。だから、私は葉隠によって
人類的問題のすべてを理解して来たのだ。
葉隠の武士道の中に、愛が深く沈潜していたからに他ならない。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/11 05:34:35)
2025年4月11日(金)
おはようございます。今朝は雨上がりの千葉からです。
指導者の心得41.
指導者には人をいつくしみ人びとの幸せを願う心が必要である。
日本の武士道よりも厳しい生き方をした人間たちが、
初期のアメリカ合衆国を創った。
その者たちはピューリタン(清教徒)と呼ばれていた人々だ。
その中のひとりに作家ウォルド・エマーソンがいる。
その「エッセー」は、私の座右を離れたことがない。
その中に「優雅でなくては、人生ではない」というものがある。
これが、世界史上、最も厳格な信仰的生き方をした人の人生観なの
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