From : 田渕裕哉(2025/04/10 05:45:40)
2025年4月10日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得40.
指導者は小事をおろそかにしてはならない。
忍ぶ恋の恋心こそが「切腹」を生み出した。
自己の生き方を、最も美しく終わらせるために切腹はある。
切腹とは、真に生きるために死ぬということなのだ。
だからこそ、切腹という儀式ををもって、日本の武士道の
真の「優雅」を感ずる西洋人が多かったのだ。
フランスの作家モーリス・パンゲもそのひとりだ。
パンゲは、日本の武士道に「自己責任」というものの
極点を見出していた。
そして日本の武士道の本質を「運命への愛」と喝破していた。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/09 08:30:08)
2025年4月9日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。
指導者の心得39.
指導者はつねに出処進退を過たないことが大切である。
我々の父祖は、魂の充電を宗教や武士道、そして騎士道によって
行なって来たのだ。
だからこそ、いま我々がこのように安穏と暮らしていける社会があ
その核心を体得しなければならない。
その最も深いものが、忍ぶ恋だとも言えるだろう。
何ものかに恋い焦がれる魂、そして何ものかを愛し苦悩する魂が、
人間の世の中を創り上げている。
ここにおいて、現代文明が「放電」だけの文明であることを
認識しておくのは無駄ではあるまい。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/08 05:39:19)
2025年4月8日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得38.
指導者はつねに人の意見に耳を傾けなければならない。
永遠恋愛とは、忍ぶ恋が生み出す、永遠の舞踏とも言えるだろう。
恋愛は舞踏である。永遠に向かって、わが愛する者と舞うのだ。
虚空の中に放射されるように、その舞を舞おうではないか。
その舞いだけが、人間の未来を創り上げることを誰が知ろうか。
現在の苦悩だけが、未来を拓く力をもつ。
だから、人間にとって最も美しい未来は、忍ぶ恋の先に存在する
こととなるだろう。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/07 07:52:26)
2025年4月7日(月)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得37.
指導者はたえず自問自答していくことが大切である。
物質的な成功や幸福を求める者にとって、いつの世も
葉隠は狂気の書だった。
あの江戸幕藩体制の時代ですら。葉隠は禁書だった。
その意味を考えてもらいたいのだ。
禁書を、聖典と仰ぐ人間が私である。
ここに私の善のすべてと、また悪のすべてがある。
良くも悪くも、葉隠は体当たりの末、死ぬだけの人生を
讃えている。
私は、だからこそ葉隠を愛するのだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/06 05:48:58)
ビジネスオーナー養成講座 さん
2025年4月6日(日)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
指導者の心得36.
指導者の力強さは使命感を持つところから生まれる。
葉隠に匹敵するものは、武士道においてはあの宮本武蔵の著した
「五輪の書」しかないだろう。
宇宙と生命、そして文明の本質を直視する者だけが、葉隠の魂と
触れ合うことが出来る。
現世の成功や幸福、そして道楽や安楽を得たい者は、葉隠には
近づかないほうがいい。
そのような者には、葉隠はきっと狂気でしかないだろう。
葉隠は動物のものではない。
葉隠は人間として生き、そして人間として死にたい者だけのため
にある。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/05 07:01:40)
2025年4月5日(土)
おはようございます。今朝は新潟からです。
指導者の心得35.
指導者は自分の力、自分の集団の実力を正しく把握しなくてはなら
道徳的な武士道の本は、実に分かり易い。
それは道徳というものが、物質主義の思想によって成り立って
いるからに他ならない。
物質とは、得するためにこの世に存在している。
だから、道徳を学べば必ず現世的に「得」をするという思想で
出来上がっているのだ。
したがって、道徳などいくら学んでも、絶対に日常を突き抜ける
ことは出来ない。
せいぜい、この世でいい思いをするだけだろう。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/04 07:56:57)
2025年4月4日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
指導者の心得34.
指導者には一つの指導理念がなくてはならない。
我々が負のエネルギーに覆われたとき、そこには愛が聳え立ち、
信が渦巻き、義が猛り狂うだろう。
それを魂の超越的上昇と呼んでいる。
忍ぶ恋が、その精神的量子を我々の魂と肉体の隅々に浸潤させてい
シャルダンもまた、忍ぶ恋の一生を送った人だった。
その清廉を、私は仰ぎ見ている。「愛について」の中で「愛とは、
引力である」とシャルダンは述べている。
そして、その引力は宇宙の中心に向かって引き付けられ、我々の
魂(意識体)に対し、憧れとして働きかけていると語っているのだ
From : 田渕裕哉(2025/04/03 07:52:31)
2025年4月3日(木)
おはようございます。今朝も小雨の千葉からです。
指導者の心得33.
指導者は私の心を去ってものを考えることが大事である。
物質とは、流体エネルギーから独立して存在するものを言う。
物質にはそれとしての価値が、もちろんあるのだが、いまここで
問題にしている負のエネルギーに関しては、物質はそれを排除
してしまっているということである。
だから、物資である我々の肉体をもう一度、負のエネルギーで
埋め尽くさなければならない。
物資としての生命と、崇高を目指す負のエネルギーとの合体こそが
武士道の本質を創り上げていると思えば分かり易い。
正のエネルギーの価値としての肉体に、宇宙的実在としての負の
エネルギーを浸潤させる。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/02 07:08:29)
2025年4月2日(水)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。
指導者の心得32.
指導者は部下の自主性を引き出し生かすことが大切である。
武士道もまた、負のエネルギーによって貫徹される。
魂が、己の糧として負のエネルギーを喰らうのである。
愛の貫徹もまた同じだ。
再三言って来たように、信頼もしかり、正義もまたしかりだ。
日常を超越するとは、この負のエネルギーが日常生活の
あらゆるところに浸潤することを言っている。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/01 07:58:47)
2025年4月1日(火)
おはようございます。今朝も曇りの千葉からです。
指導者の心得31.
指導者は最後の最後まで志を失ってはならない。
恋に死することが、忍ぶ恋の武士道的な価値観を創っている。
恋そのものが、何ものかに対する強い想いだから、そうなるのだ。
恋に死する者は、また忠義に死する者となる。
そして忠義に死する者は、また家族愛に死する者となるのである。
忠義は、恋である。家族への愛もまた、恋なのだ。 >>>続きはこちらから
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