From : 田渕裕哉(2025/07/21 05:48:56)
2025年7月21日(月・祝)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。今日は神
手ほどきはしてやるが、答えは自分で見つけるもんだ。
ハッキリこうと教えられるよりも、自分でつかんだ答えなら、一生
福田達也
中津藩というのは、激動の幕末期にもパッとした働きをするわけで
存在感は薄かった。
しかし、中津藩は「解体新書」を杉田玄白とともに著した前野良沢
出身地であることからもわかる通り、伝統的に学問を重んじる寄付
そこにシゲじいちゃんのDNAが注ぎ込まれて、新しもの好きで自
空気が生まれました。
だからこそ、学問を究めていくには最高の場であり、福沢諭吉の才
花ひらいたのです。
シゲじいちゃんの十三男・長薄が筑前福岡藩の黒田家を継ぐのです
この福岡藩でも、長薄の影響で、洋学がさかんになりました。
そんなこともあり、福岡藩の藩士に、永井青崖という人が出て、江
蘭学塾を開くのですが、この永井青崖が、なんと勝海舟の師匠にあ
From : 田渕裕哉(2025/07/20 05:08:43)
2025年7月20日(日)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。今日は
人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。
しかしそれは考える葦である。
パスカル
斉彬の人生を語るうえで外せないのが第8代藩主・島津重豪です。
斉彬の曾祖父、つまりひい爺ちゃんです。
重豪、あの時代に88歳まで生きたことも驚きですが、側室が
10人以上いて、子どもがわかっているだけでも26人います。
さらに家臣とわざわざ中国語で会話していたと伝えられ、オランダ
語の読み書きもできたというから、かなりのインテリじいちゃんで
シゲじいちゃんこと、重豪が、また素敵なのです。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/07/19 06:55:22)
2025年7月19日(土)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
作曲の95パーセントは、過去の遺産を糧にしています。
作曲家自身の「発明」は、せいぜい1~2パーセント程度で、最大
作曲の大部分は過去の作品の引用です。
坂本龍一
これからの話で、歴史の醍醐味をあなたに味わっていただきたいと
まず、知っていただきたいのは、薩摩藩(鹿児島県)の殿様のふた
第11代藩主・島津斉彬と、斉彬の曾祖父・島津重豪です。
このふたりが幕末、明治の流れを大きく変えたのです。
まず、島津斉彬。斉彬は身分制度が厳しい江戸時代にありながら、
対する意見があれば、遠慮なく言ってくれと藩士たちに伝えていま
すると、あるひとりの下級武士が、農政についての意見書を提出。
その意見書が斉彬の目に留まります。これが当時27歳の西郷隆盛
西郷の才能を見抜いた斉彬は、来る日も来る日も西郷に、今の日本
いる立場や世界情勢、政治、経済のことを語って聞かせたといいま
From : 田渕裕哉(2025/07/18 06:46:37)
2025年7月18日(金)
おはようございます。今朝は郡山からお届けしています。
空白の部分を考える、それが私の喜び。
松本清張
江戸時代の日本は黒船来航から6年の間に、薩摩、佐賀、伊予宇和
3藩すべてで、黒船を完成させています。
江戸時代の日本は、200年以上も鎖国が続いていて、実は大型船
建造することすら禁止されていたんです。
それが、黒船を見て、自分たちでも造れると動き出して見事に造り
この先人たちの好奇心とバイタリティー、そして途方もない夢を実
しまう技術力があったからこそ、アジアの国々のほとんどが欧米の
となるなかで、日本は奇跡的に独立を保てたのでしょう。
黒船を造ることは、喜蔵自身が描いた夢ではありませんでした。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/07/17 07:00:58)
2025年7月17日(木)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。今日は
どこに行こうとしているかがわかっていなければ、どの道を通って
ヘンリー・キッシンジャー
できあがった蒸気船が宇和島湾に浮かんだとき、藩主の伊達宗城は
喜びを表して「これで参勤交代するんだ」と言ったそうです。
そしていよいよ海上運転が行なわれました。
喜蔵は狭い機関室に入ったまま、釜焚きから操作までをひとりでこ
でも、ほんとうに動くのか?動くのか?喜蔵の鼓動は高まります。
「!」小さな船窓から天守閣が静かに後ろに下がっていくのが見え
「動いた!」その実感を得たとき、喜蔵は何を思ったでしょうか。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/07/16 07:10:50)
2025年7月16日(水)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
常識と非常識がぶつかたときに、イノベーションが生まれる。
井深大
まず、喜蔵は黒船を見ないことには話が始まらないと、長崎に
修行の旅に出ます。はい、ここです。
この時点で、黒船造りを任されたリーダーが黒船を見たことすら
なかった、という点が素敵ですよね(笑)
宇和島藩では、喜蔵を士分に取り立ててくれましたが、旅に同行
した武士たちが、喜蔵を町人扱いするものですから、長崎滞在は、
喜蔵にとって、相当つらく屈辱的なものでした。
荷物持ちにされ、時間に遅れると食事を与えられないなど、不遇
に甘んじたそうです。
それでも、喜蔵は悔しさ以上に、黒船を造るプロジェクトにやりが
を見出していたのだと思います。喜蔵は、めげなかったのです。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/07/15 05:17:50)
2025年7月15日(火)
おはようございます。今朝は青森からお届けしています。今日は八
私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。
ウィトゲンシュタイン
宇和島藩(愛媛県)は10万石の小藩でしたので問題がありました
予算もなければ、洋学の施設や造船の設備なども何もありません。
それでも、黒船を造ってみたい。そして、四国の片隅にある宇和島
を大改造したい。
そんな殿様の夢から、黒船造ろうプロジェクトが始まるのです。
このプロジェクトの主役に抜擢されたのは、ちょうちん張りの職人
嘉蔵という若者でした。黒船を造るのに、ちょうちん張り? >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/07/14 06:24:39)
2025年7月14日(月)
おはようございます。今朝は仙台からです。今日は弘前市でセミナ
スタート時点で大切なことは次の一点であろう。
「設問の仕方を解決策志向的に行うこと」
大前研一
嘉永6年(1853)6月3日。ついに来てしまった。日本騒然。
欧米諸国が帝国主義によって海外領土を拡大していった時代。
アジアの国々は、次々にヨーロッパ諸国の前に屈し、植民地になっ
そして、ついに、鎖国をしていた日本にもやってきたのです。
アメリカ合衆国海軍、マシュー・ペリー提督率いる恐怖の黒船が!
手漕ぎの船じゃない。まるで城が海の上を走っているよう。日本と
From : 田渕裕哉(2025/07/13 05:39:45)
2025年7月13日(日)
おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。今日は仙台に行
情理も一つのロジックとするならば、 大切なのは、
とにかくロジカルに考え抜く姿勢というのに尽きると思います。
波頭亮
夢に生きるとは、やりたいことだけをやることではないのです。
夢に生きるとは、好きなことだけやることではないのです。
夢に生きるとは、目の前のことをすべて受け入れ、そのときに
できる小さな一歩を踏み出し続けること。
夢に生きるとは、大切な人たちを、ちゃんと大切にすること。
チャンスはいつだって、いま、目の前にあるということです。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/07/12 06:14:15)
2025年7月12日(土)
おはようございます。今朝は涼しい朝の千葉からです。
考えなさい。調査し、探究し、問いかけ、熟考するのです。
ウォルト・ディズニー
夜になると、野原で星空を見上げていた伊能忠敬。
50歳になっても夢をあきらめていなかった伊能忠敬。
55歳から17年間、一歩一歩踏み出し続け、地球1周分を歩きぬ
考えてみると、忠敬の人生は夢に向かって一直線に突き進んだので
いや、それどころか、夢とはなんの関係もない、婿入りした先の酒
一直線に突き進んだ人生でした。 >>>続きはこちらから
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