人生に悩んだら「日本史」に聞こう69.

From : 田渕裕哉(2025/09/12 07:53:52)

2025年9月12日(金)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

悲観主義者は風にうらみを言う。
楽観主義者は風が変わるのを待つ。
現実主義者は、帆を動かす。
ウィリアム・アーサー・ウォード

龍馬の船中八策は、明治天皇が示した「五箇条の御誓文」のもとに
なったと言われていますが、日本から出たことがない龍馬が、
このような自由で民主的な国家の青写真を持っていたのは、
奇跡と言うほかありません。

これも河田小龍を経由して、万次郎から龍馬に受け継がれた遺産
と言っていいでしょう。

その後、万次郎は、土佐の藩校の教授に就任。

そのときの教え子のひとりが、三菱の創設者・岩崎弥太郎です。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう68.

From : 田渕裕哉(2025/09/11 06:39:41)

2025年9月11日(木)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

人生は道路のようなものだ。
一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
フランシス・ベーコン

土佐では、絵師・河田小龍が取り調べという名目のもと、万次郎と寝起きを
共にして、万次郎から英語を教わりながら。、少しずつ西洋事情を聞き書き
していきました。

後に、この河田小龍のもとに、ひとりの若い男が出入りするようになります。

その男は、小龍を経由して万次郎から伝え聞いたアメリカの話に感動します。

その若き男の名前を坂本龍馬といいます。

商人の血をひく龍馬は、合理的なアメリカの考え方に感動します。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう67.

From : 田渕裕哉(2025/09/10 05:19:51)

2025年9月10日(水)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。
今日は熊本でセミナーです。

尊厳を保つためには、金は必ずしも必要ではない。
ガンジー

船長のウィリアム・H・ホイットフィールドは、万次郎をまるで我が子のように
かわいがり、鎖国で日本への帰国を許されなかった万次郎をアメリカに連れ帰って、
教育を受けさせることにしました。

ある日、自分の所属する教会に万次郎を連れて行くと、その教会は「白人ではない」
ことを理由に万次郎を受け入れてくれません。

すると船長は、その教会と絶縁し、万次郎を受け入れてくれる教会に宗旨替えを
したのです。

アメリカ人が、異国の少年のためにわざわざ宗旨替えをする。

船長の万次郎への思いが、なみなみならぬものであったことがわかります。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう66.

From : 田渕裕哉(2025/09/09 04:09:42)

2025年9月9日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

毎日を生きよ。
あなたの人生が始まった時のように。
ゲーテ

志ある者同士は、どんなに離れていても、目に見えない糸でちゃんとつながっていく。

そのことを、中浜万次郎の人生は見事に教えてくれます。

土佐(高知県)の漁師の子として生まれた万次郎は、14歳のとき漁に出ます。

しかし、嵐にのまれ遭難。空腹と寒さの限界に耐えること7日目、島影を目にします。

でもそこは、八丈島からさらに300キロも南に位置する絶海の孤島だったのです。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう65.

From : 田渕裕哉(2025/09/08 06:36:59)

2025年9月8日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
今日は福島でセミナーです。

「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。
斎藤茂太

小山評定によって、家康は上杉討伐を中止し、上方に引き返して三成率いる
西軍と戦うことが決まったのですが、この一豊の申し出のおかげで、家康が
石田三成と戦うための通り道となる東海道筋の城主たちは、ことごとく城を
差し出しました。

これによって、家康は「誰かが裏切るのではないか」という懸念を抱くこと
なく、安心して関ヶ原へと向かうことができたのです。

実はこの段階で、戦う前に、関ヶ原の勝負はついていた。

関ヶ原の勝利の立役者が山内一豊であることを、家康はわかっていたのです。

その感謝の証しが、土佐20万石というわけです。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう64.

From : 田渕裕哉(2025/09/07 07:49:21)

申し訳ございません。昨日と今日のメルマガを間違えて逆に送ってしまいました。
今日のメルマガが金曜日の続きで、昨日のメルマガが今日の続きになります。

おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

人間には不幸か、貧乏か、病気が必要だ。
でないと人間はすぐに思いあがる。
ツルゲーネフ

実のところ、彼らは、このまま家康の東軍に残るべきか、
三成の西軍につくべきか迷っていました。

東軍につくことが、豊臣秀吉の遺児・秀頼に背くことに
なるのではないかという後ろめたさ。

さらには、大坂にいる妻子が、三成率いる西軍に人質として
とられてしまうのではないかという不安が大きかったからです。

軍議が始まると、一豊は、東軍に残ることを表明しました。

しかし、彼の発言は、それだけにとどまらず、なんと自分の
居城である掛川城を、家康に無償で提供すると申し出たのです。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう63.

From : 田渕裕哉(2025/09/06 07:48:10)

2025年9月6日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

人生はロマン。
自分は不幸だと悩むのではなく、試練を与えられた物語の主人公だと思えば、人生をエンジョイできる。
美輪明宏

山内一豊のように、小さいながらも一城の主ともなれば「家」の存続がなによりも大事。

戦況がどちらに転んでも家を残せるように手を打つのが常識です。

ましてや、恩もない家康と心中するような選択はしない。

でも、このとき、山内一豊は、自分の居城と領土を家康に提供するという、
まるで家康の忠実な家臣になったような、あり得ない行動に出たのです。

もともと山内一豊は、加藤清正や福島正則のような豪傑でもなければ、
石田三成のような知将でもない、律義さが取り柄の地味な武将でした。

ただ、一豊には、強い味方がいたのです。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう62.

From : 田渕裕哉(2025/09/05 07:14:13)

2025年9月5日(金)
おはようございます。今朝は恵みの雨の千葉からです。

竹にはフシがある。
そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。
本田宗一郎

土佐藩の初代藩主、山内一豊です。

山内一豊は、関ヶ原の戦いの功により、掛川6万石から、
一躍土佐20万石を拝します。

領地が3倍にふくらんだのです。

関ヶ原の戦いで、さぞや華々しい大活躍をしたと思いきや、違います。

山内家は関ヶ原の戦いの最中、結局は一発も撃たずに終わった敵方
毛利家に対して備えを務めただけなので、注目するような戦功なん
何もなかったんです。

それなのに、なぜ領地が3倍に? >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう61.

From : 田渕裕哉(2025/09/04 06:15:34)

2025年9月4日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

未来とは、今である。
マーガレット・ミード

武家社会のなかで大切に考えられてきたのは「忠」と「孝」です。

つまり、主君や親など、目上の人に対する忠誠心が重要視されてきました。

それに対して、同僚や仲間といった、横のつながりは、現代ほど重んじ
られていなかったので、三成と吉継のように、固い友情で結ばれた間柄と
いうのは、きわめて稀だったのです。

三成から家康に対する挙兵計画を打ち明けられたときも、吉継は、勝算のない
戦いはするべきではないと反対しますが、結局、三成を見捨てないのです。

吉継は関ヶ原参戦を決意。そして、ここで命を落としています。 >>>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう60.

From : 田渕裕哉(2025/09/03 07:55:12)

2025年9月3日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。
アンディ・ウォーホル

石田三成の親友である大谷吉継も、三成のかわいげを見出したひとりです。

ふたりの間に、こんなエピソードがあります。

大谷吉継は、ハンセン病を患っていて、普段から顔や手を布で覆い隠していました。

あるとき、秀吉主催の茶会で吉継に茶碗が回ってきました。

彼は飲む振りをして次に回すつもりでしたが、傷口から膿が垂れ、お茶に
混じってしまったのです。

当時の人々は、ハンセン病は感染によって発症すると誤解していたので、
吉継のあとに茶碗が回ってくるはずの武将たちは絶句し、一同はすっかり
青ざめてしまいました。 >>>続きはこちらから