From : 田渕裕哉(2025/10/10 07:49:11)
2025年10月10日(金)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる。
勝っているときが一番怖い。
リードしているときが一番怖い。
野村克也
日本までの長旅の間、不安な気持ちで過ごしたであろうポーランド
日本に到着した彼らを待っていたのは・・・。
歯科治療や散髪のボランティアを申し出る人たち、衣類やお菓子・
や人形などを持ち寄る人々。
寄付金を申し出る人々も後を絶ちませんでした。
そして大人に連れられ、お見舞いに訪れた日本人の子どもたちは、
洋服や、身につけている髪飾りを、迷わずポーランドの子どもたち
したのです。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/10/09 06:46:39)
2025年10月9日(木)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。
なぜ逃げるのか。
打たれて命を取られるのか。
打たれたからって命を取られるわけないんだ。
逃げるな。
長嶋茂雄
ところが、翌年にポーランドとロシアとの間に戦争が始まり、
孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことができなくなってしまうの
そこで救済委員会は、欧米諸国に孤児たちの救済を訴えたのですが
第一次世界大戦直後の混乱が続くなか、各国の反応は冷淡なもので
そのような状況で、ポーランドが最後の望みを託した相手が、日本
だったのです。
日露戦争でロシアを破った日本なら、救いの手を差し伸べてくれる
しれない・・・。
その祈りにも似た願いが、外務省を通して日本赤十字社にもたらさ
From : 田渕裕哉(2025/10/08 06:57:43)
2025年10月8日(水)
おはようございます。今朝は熊本からです。
努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。
基本的にプロというのは、ミスをしてはいけないんですよ。
王貞治
ポーランドの場所をご存知ですか?
実は、日本とポーランドの間には、深い関係があるのです。
1918年、ポーランドはロシアから念願の独立を果たします。
それまで50年以上にわたって、ポーランド人は独立を求めて、
何度もロシアに対して武装蜂起しては、そのたびに失敗。
多くの男たちが囚われの身となってシベリアで強制労働を
させられていました。
そんな男たちを追って、恋人や家族もシベリアへ行く決意をします
From : 田渕裕哉(2025/10/07 06:18:10)
2025年10月7日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
今日は博多、熊本です。
本当に愛していることのためなら、どんなことでも乗り越えられる
常に勝つことはできない。
時にはそのことを受け入れなければならない。
リオネル・メッシ
後日、トルコ政府は、治療にあたった医師らに対し、治療費の請求
彼らは「お金なら、被災したトルコ人にさしあげてください」と言
受け取りませんでした。
串本町では、この事故で亡くなった人々を悼み、今でも5年ごとに
地元の小学校に通う子どもたちの手で、慰霊塔や墓地の清掃も、続
以下は、ネジャッティ・ウトカン駐日トルコ大使の言葉です。
「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献
今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史の教
From : 田渕裕哉(2025/10/06 07:51:56)
2025年9月6日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
本当に愛していることのためなら、どんなことでも乗り越えられる
常に勝つことはできない。
時にはそのことを受け入れなければならない。
リオネル・メッシ
トルコの大使は、その理由を短いコメントで表しました。
「トルコ人なら誰もが、エルトゥ―ルル号の遭難の際に受けた恩義
ご恩返しをしただけです」
エルトゥールル号の遭難・・・。
1890年(明治23)9月16日の夜に事件は起こりました。
その日は台風にみまわれ、トルコ軍艦エルトゥ―ルル号が和歌山県
岩礁に衝突、沈没したのです。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/10/05 06:57:14)
2025年10月5日(日)
おはようございます。今朝は福島からお届けしています。
失敗を恐れているなら、おそらく君は失敗するだろう。
わたしは完璧を追い求める。
コービー・ブライアント
2機のトルコ航空機が215人の在留邦人を乗せてイラン国境を越
トルコ領域に入ったのは、3月19日18時45分、タイムリミッ
のわずか1時間45分前のことでした。
トルコの領域に入った瞬間「みなさん、トルコにようこそ!」
というアリ機長のアナウンスが機内に響き渡りました。
わきおこる拍手と歓声。助かった・・・。
人々は、互いに手と手を握り合い涙しました。
そこには、乗員と乗客という立場を超えた強い絆が生まれていまし
From : 田渕裕哉(2025/10/04 07:37:19)
2025年10月4日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
今日は福島で2回のセミナーでスピーチします。
すべては練習のなかにある。成功は決して偶然ではない。
勤勉、忍耐、知識、学び、犠牲、そして何よりも自分が取り組んで
ペレ
声の主は、伊藤忠商事のイスタンブール支店長・森永堯氏でした。
森永氏の同僚とその家族34人が、テヘランに取り残されていたの
森永氏がトルコの首都・イスタンブールに赴任したのは10年前。
当時経済官僚だったオザル氏から相談を受け、破綻しかかっていた
経済の再生に尽力してきたのが、森永氏でした。
ビルセル大使からの要請、そして森永氏からの電話。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/10/03 07:55:13)
2025年10月3日(金)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
落ちたら、またはいあがってくればいいだけのこと。
子供に夢を持たせたければ、大人こそ夢を持て。
アントニオ猪木
イランに住む外国人は、それぞれの国の航空会社や軍隊の協力で脱
計られましたが、当時の日本は、イランとの間に定期便を持ってお
自衛隊を海外で活動させるといった法律もありませんでした。
航空会社や自衛隊が救出に行けない日本は、他国に応援を頼みます
どの国も自国民の救出に手いっぱいで、断られてしまいます。
そのため、在イラン日本人200名以上は、脱出方法が見つからず
生命の危機に瀕していました。・・・もはやタイムリミットです。
万策尽きたイランの日本大使館でしたが、野村豊大使はそれでも
あきらめません。
野村大使は、個人的に親しいつきあいをしているトルコのビルセル
最後の頼みを託しました。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/10/02 06:46:24)
2025年10月2日(木)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
リスクを取る勇気がなければ、何も達成することがない人生になる
想像力のない奴に、翼は持てない。
モハメド・アリ
フセインの突然の無差別撃墜予告。残された時間は48時間。
さて、日本人は脱出できたのか?
イラン・イラク戦争真っただ中の1985年3月12日。
イラク軍によるイランの首都テヘランに対する空爆が始まりました
テヘランの町は大混乱。その混乱に拍車をかけるように、イラクの
フセイン大統領が声明を発表しました。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/10/01 07:11:33)
2025年10月1日(水)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
目標を達成するには、全力で取り組む以外に方法はない。
そこに近道はない。
自分に期待することではじめて物事は可能になる。
マイケル・ジョーダン
「東京を最初に支持してくれたメキシコへ恩を返したい」と、
メキシコオリンピック実現のために、2ヶ月近くもメキシコに
滞在し、誘致活動から開催までのあらゆるノウハウを伝授したので
そして、見事にメキシコ招致に成功。
フレッド和田の献身的な協力に感動したロペス大統領は、
礼状と記念品を贈呈しています。
さらに、その後、1984年のロサンゼルス五輪の誘致・開催
にも協力して、日系人の自分たちを受け入れてくれたアメリカ
社会にも恩返します。 >>>続きはこちらから
カテゴリー
アーカイブ