From : 田渕裕哉(2025/04/08 05:39:19)
2025年4月8日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得38.
指導者はつねに人の意見に耳を傾けなければならない。
永遠恋愛とは、忍ぶ恋が生み出す、永遠の舞踏とも言えるだろう。
恋愛は舞踏である。永遠に向かって、わが愛する者と舞うのだ。
虚空の中に放射されるように、その舞を舞おうではないか。
その舞いだけが、人間の未来を創り上げることを誰が知ろうか。
現在の苦悩だけが、未来を拓く力をもつ。
だから、人間にとって最も美しい未来は、忍ぶ恋の先に存在する
こととなるだろう。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/07 07:52:26)
2025年4月7日(月)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得37.
指導者はたえず自問自答していくことが大切である。
物質的な成功や幸福を求める者にとって、いつの世も
葉隠は狂気の書だった。
あの江戸幕藩体制の時代ですら。葉隠は禁書だった。
その意味を考えてもらいたいのだ。
禁書を、聖典と仰ぐ人間が私である。
ここに私の善のすべてと、また悪のすべてがある。
良くも悪くも、葉隠は体当たりの末、死ぬだけの人生を
讃えている。
私は、だからこそ葉隠を愛するのだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/06 05:48:58)
ビジネスオーナー養成講座 さん
2025年4月6日(日)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
指導者の心得36.
指導者の力強さは使命感を持つところから生まれる。
葉隠に匹敵するものは、武士道においてはあの宮本武蔵の著した
「五輪の書」しかないだろう。
宇宙と生命、そして文明の本質を直視する者だけが、葉隠の魂と
触れ合うことが出来る。
現世の成功や幸福、そして道楽や安楽を得たい者は、葉隠には
近づかないほうがいい。
そのような者には、葉隠はきっと狂気でしかないだろう。
葉隠は動物のものではない。
葉隠は人間として生き、そして人間として死にたい者だけのため
にある。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/05 07:01:40)
2025年4月5日(土)
おはようございます。今朝は新潟からです。
指導者の心得35.
指導者は自分の力、自分の集団の実力を正しく把握しなくてはなら
道徳的な武士道の本は、実に分かり易い。
それは道徳というものが、物質主義の思想によって成り立って
いるからに他ならない。
物質とは、得するためにこの世に存在している。
だから、道徳を学べば必ず現世的に「得」をするという思想で
出来上がっているのだ。
したがって、道徳などいくら学んでも、絶対に日常を突き抜ける
ことは出来ない。
せいぜい、この世でいい思いをするだけだろう。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/04 07:56:57)
2025年4月4日(金)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
指導者の心得34.
指導者には一つの指導理念がなくてはならない。
我々が負のエネルギーに覆われたとき、そこには愛が聳え立ち、
信が渦巻き、義が猛り狂うだろう。
それを魂の超越的上昇と呼んでいる。
忍ぶ恋が、その精神的量子を我々の魂と肉体の隅々に浸潤させてい
シャルダンもまた、忍ぶ恋の一生を送った人だった。
その清廉を、私は仰ぎ見ている。「愛について」の中で「愛とは、
引力である」とシャルダンは述べている。
そして、その引力は宇宙の中心に向かって引き付けられ、我々の
魂(意識体)に対し、憧れとして働きかけていると語っているのだ
From : 田渕裕哉(2025/04/03 07:52:31)
2025年4月3日(木)
おはようございます。今朝も小雨の千葉からです。
指導者の心得33.
指導者は私の心を去ってものを考えることが大事である。
物質とは、流体エネルギーから独立して存在するものを言う。
物質にはそれとしての価値が、もちろんあるのだが、いまここで
問題にしている負のエネルギーに関しては、物質はそれを排除
してしまっているということである。
だから、物資である我々の肉体をもう一度、負のエネルギーで
埋め尽くさなければならない。
物資としての生命と、崇高を目指す負のエネルギーとの合体こそが
武士道の本質を創り上げていると思えば分かり易い。
正のエネルギーの価値としての肉体に、宇宙的実在としての負の
エネルギーを浸潤させる。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/02 07:08:29)
2025年4月2日(水)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。
指導者の心得32.
指導者は部下の自主性を引き出し生かすことが大切である。
武士道もまた、負のエネルギーによって貫徹される。
魂が、己の糧として負のエネルギーを喰らうのである。
愛の貫徹もまた同じだ。
再三言って来たように、信頼もしかり、正義もまたしかりだ。
日常を超越するとは、この負のエネルギーが日常生活の
あらゆるところに浸潤することを言っている。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/04/01 07:58:47)
2025年4月1日(火)
おはようございます。今朝も曇りの千葉からです。
指導者の心得31.
指導者は最後の最後まで志を失ってはならない。
恋に死することが、忍ぶ恋の武士道的な価値観を創っている。
恋そのものが、何ものかに対する強い想いだから、そうなるのだ。
恋に死する者は、また忠義に死する者となる。
そして忠義に死する者は、また家族愛に死する者となるのである。
忠義は、恋である。家族への愛もまた、恋なのだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/03/31 07:55:32)
2025年3月31日(月)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。
指導者の心得30.
指導者は世間のこわさを知り身を正していかなければならない。
忍ぶ恋とは、忍べば忍ぶほどその価値は高まって来るのだ。
だから忍ぶ恋とは、本当は辛いものでもなく、また耐える
ものでもない。
それは誇りと成り得るものである。
辛さや苦痛は、忍ぶことの理解のために、地上的に理解できる
表現を取っているに過ぎないのだ。
忍ぶ恋は、忍ばせていただくのである。
自己の修行という手前勝手な考えによって、そうさせていただく。
そう捉えるのが、最も正しいエネルギーの見方ということになろう
From : 田渕裕哉(2025/03/30 06:56:32)
2025年3月30日(日)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。
指導者の心得29.
指導者は体は遊んでいても心は働かせていることが大事である。
この世のあらゆることは、与志とコルネリアには関係ない。
それが関係する者は、すべての日常性と地上の物質的価値に
?み込まれてしまうだろう。
恋する者は、それ自体の力として、理想に向かって生きているのだ
コルネリアはマカオの丘の上で与志の意志を乗せた風を感じていた
忍ぶ恋に生きて来た自分と上田与志が、時代を超越して対面してい
この純心この純愛こそが、葉隠の思想を自己の人生に引き寄せてく
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