人生に悩んだら「日本史」に聞こう66.

From : 田渕裕哉(2025/09/09 04:09:42)

2025年9月9日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

毎日を生きよ。
あなたの人生が始まった時のように。
ゲーテ

志ある者同士は、どんなに離れていても、目に見えない糸でちゃんとつながっていく。

そのことを、中浜万次郎の人生は見事に教えてくれます。

土佐(高知県)の漁師の子として生まれた万次郎は、14歳のとき漁に出ます。

しかし、嵐にのまれ遭難。空腹と寒さの限界に耐えること7日目、島影を目にします。

でもそこは、八丈島からさらに300キロも南に位置する絶海の孤島だったのです。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう65.

From : 田渕裕哉(2025/09/08 06:36:59)

2025年9月8日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
今日は福島でセミナーです。

「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。
斎藤茂太

小山評定によって、家康は上杉討伐を中止し、上方に引き返して三成率いる
西軍と戦うことが決まったのですが、この一豊の申し出のおかげで、家康が
石田三成と戦うための通り道となる東海道筋の城主たちは、ことごとく城を
差し出しました。

これによって、家康は「誰かが裏切るのではないか」という懸念を抱くこと
なく、安心して関ヶ原へと向かうことができたのです。

実はこの段階で、戦う前に、関ヶ原の勝負はついていた。

関ヶ原の勝利の立役者が山内一豊であることを、家康はわかっていたのです。

その感謝の証しが、土佐20万石というわけです。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう64.

From : 田渕裕哉(2025/09/07 07:49:21)

申し訳ございません。昨日と今日のメルマガを間違えて逆に送ってしまいました。
今日のメルマガが金曜日の続きで、昨日のメルマガが今日の続きになります。

おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

人間には不幸か、貧乏か、病気が必要だ。
でないと人間はすぐに思いあがる。
ツルゲーネフ

実のところ、彼らは、このまま家康の東軍に残るべきか、
三成の西軍につくべきか迷っていました。

東軍につくことが、豊臣秀吉の遺児・秀頼に背くことに
なるのではないかという後ろめたさ。

さらには、大坂にいる妻子が、三成率いる西軍に人質として
とられてしまうのではないかという不安が大きかったからです。

軍議が始まると、一豊は、東軍に残ることを表明しました。

しかし、彼の発言は、それだけにとどまらず、なんと自分の
居城である掛川城を、家康に無償で提供すると申し出たのです。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう63.

From : 田渕裕哉(2025/09/06 07:48:10)

2025年9月6日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

人生はロマン。
自分は不幸だと悩むのではなく、試練を与えられた物語の主人公だと思えば、人生をエンジョイできる。
美輪明宏

山内一豊のように、小さいながらも一城の主ともなれば「家」の存続がなによりも大事。

戦況がどちらに転んでも家を残せるように手を打つのが常識です。

ましてや、恩もない家康と心中するような選択はしない。

でも、このとき、山内一豊は、自分の居城と領土を家康に提供するという、
まるで家康の忠実な家臣になったような、あり得ない行動に出たのです。

もともと山内一豊は、加藤清正や福島正則のような豪傑でもなければ、
石田三成のような知将でもない、律義さが取り柄の地味な武将でした。

ただ、一豊には、強い味方がいたのです。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう62.

From : 田渕裕哉(2025/09/05 07:14:13)

2025年9月5日(金)
おはようございます。今朝は恵みの雨の千葉からです。

竹にはフシがある。
そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。
本田宗一郎

土佐藩の初代藩主、山内一豊です。

山内一豊は、関ヶ原の戦いの功により、掛川6万石から、
一躍土佐20万石を拝します。

領地が3倍にふくらんだのです。

関ヶ原の戦いで、さぞや華々しい大活躍をしたと思いきや、違います。

山内家は関ヶ原の戦いの最中、結局は一発も撃たずに終わった敵方
毛利家に対して備えを務めただけなので、注目するような戦功なん
何もなかったんです。

それなのに、なぜ領地が3倍に? >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう61.

From : 田渕裕哉(2025/09/04 06:15:34)

2025年9月4日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

未来とは、今である。
マーガレット・ミード

武家社会のなかで大切に考えられてきたのは「忠」と「孝」です。

つまり、主君や親など、目上の人に対する忠誠心が重要視されてきました。

それに対して、同僚や仲間といった、横のつながりは、現代ほど重んじ
られていなかったので、三成と吉継のように、固い友情で結ばれた間柄と
いうのは、きわめて稀だったのです。

三成から家康に対する挙兵計画を打ち明けられたときも、吉継は、勝算のない
戦いはするべきではないと反対しますが、結局、三成を見捨てないのです。

吉継は関ヶ原参戦を決意。そして、ここで命を落としています。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう60.

From : 田渕裕哉(2025/09/03 07:55:12)

2025年9月3日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

時が物事を変えるって人はいうけど、実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。
アンディ・ウォーホル

石田三成の親友である大谷吉継も、三成のかわいげを見出したひとりです。

ふたりの間に、こんなエピソードがあります。

大谷吉継は、ハンセン病を患っていて、普段から顔や手を布で覆い隠していました。

あるとき、秀吉主催の茶会で吉継に茶碗が回ってきました。

彼は飲む振りをして次に回すつもりでしたが、傷口から膿が垂れ、お茶に
混じってしまったのです。

当時の人々は、ハンセン病は感染によって発症すると誤解していたので、
吉継のあとに茶碗が回ってくるはずの武将たちは絶句し、一同はすっかり
青ざめてしまいました。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう59.

From : 田渕裕哉(2025/09/02 07:48:40)

2025年9月2日(火)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
ガンジー

そんな石田三成のなかに、かわいげを見つけた人もいるのです。

豊臣秀吉です。秀吉は石田三成をとてもかわいがりました。

秀吉と三成の出会いはこうです。

近江の長浜城主となった秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしていましたが、
その帰途、喉が渇いて、観音寺というお寺に立ち寄り、お茶を所望しました。

対応した寺の小姓は、まず初めに大ぶりの茶碗にぬるめのお茶をなみなみと
注ぎました。

喉の渇いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのみます。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう58.

From : 田渕裕哉(2025/09/01 06:57:49)

2025年9月1日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

死を前にしたとき、みじめな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、
いやな出来事や逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、
それはとても不幸なことだと思うの。
オードリー・ヘップバーン

「すこしエヘン顔して」「なおエヘンエヘン かしこ」

こては、一介の脱藩浪人にすぎなかった坂本龍馬が、幕臣・
勝海舟に見込まれ弟子入りしたときに、龍馬のお姉さんの
乙女あてに送った手紙の一文です。

エヘンエヘンどんなもんだいとエヘン顔で、龍馬はお姉ちゃん
に自慢しているわけです。

こんな手紙をお姉ちゃんに書く龍馬って、かわいいですよね。

吉田松陰、西郷隆盛、豊臣秀吉、歴史に名を残した人で、いまも
人気を誇っている人って、やっぱり、どこかかわいげがあるんです

じゃあ逆に、日本史上、もっともかわいげのない人物って、いったい誰
だろう?トップ10入りに確実なのは、石田三成ではないかと思うのです。 >>続きはこちらから

人生に悩んだら「日本史」に聞こう57.

From : 田渕裕哉(2025/08/31 06:27:14)

2025年8月31日(日)
おはようございます。今朝は涼しい朝の千葉からです。

安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。
現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。
危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです
人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。
ヘレン・ケラー

戦国武将にとって、領土が減らされるということは、名誉がどうの
いう以上に、現実問題、経済的に困ることだったのです。

そしてこの経済的困窮が、恨みになっていく。

その証拠に、戊辰戦争のときに、徳川幕府を裏切って新政府軍についた
藩は、関ヶ原の戦いのときに家康に減封(所領の一部を減らすこと
されている藩です。

およそ260年前の怨みが起爆剤となって、明治維新が起こるんですね。 >>続きはこちらから