超葉隠論125.

From : 田渕裕哉(2025/06/11 07:10:47)

2025年6月11日(水)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。今日は名古屋です。

指導者の心得102.
指導者は「治にいて乱を忘れず」の心がまえが大切である。

葉隠はすべての「正」を否定して「負」のみによって
この世を生きることを示している。

だからこの葉隠の思想を噛み締め、この世において実行すれば、
そのまま「運命への愛」が自己の人生を覆うことになるのだ。

これを独立自尊の人間だけが、実行できる。

そして、その自己固有の運命が認識されれば、
人生に真の自由が訪れて来ることになる。

それが先ほどの内村鑑三の人生観に見られたものと言えるだろう。

運命と自由は響き合っているのだ。

そしてそれらは愛によって支えられているに違いない。 >>続きはこちらから

超葉隠論124.

From : 田渕裕哉(2025/06/10 07:36:06)

2025年6月10日(火)
おはようございます。今朝は福島県のいわき市からお届けしています。

指導者の心得101.
指導者に必要なのは匹夫の勇ではなく正義に立った大勇である。

自己への運命への愛を最も掴んだ人間のひとりこそが
明治のキリスト者・内村鑑三だった。

内容の「日記」には「墓に入るまで、独立であらねばならぬ」
と認められている。

これは内村が、愛を貫き通す人生を送るに当たって、最も
大切な考え方がそこにあると感じていたからに他ならない。

独立自尊とは、負のエネルギーを、この世で貫徹するために
必須の要件となるのだ。

負のエネルギーの体得者には、現世で物質的な野心などはない。 >>続きはこちらから

超葉隠論123.

From : 田渕裕哉(2025/06/09 07:27:13)

2025年6月9日(月)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。今日は郡山でセミナーです。

指導者の心得100.
指導者は自分の持ち味によって事をなさなくては失敗する。

現代人は、全く自己の運命を愛していないことは先にも少し触れた

文化が愛を育むのだ。

特に葉隠のような狂気に近い文化ほど、その愛は深いものとなる。

自己の運命を愛すれば、自己の存在の永久性が分かるようになる。

自分とは、過去にも存在し、また未来にも存在する運命という宇宙
実在なのである。

自己の永遠性の認識ということだろう。 >>続きはこちらから

超葉隠論122.

From : 田渕裕哉(2025/06/08 06:58:15)

2025年6月8日(日)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

指導者の心得99.
指導者は次々に適切な目標を与えなくてはならない。

私は「運命への愛」という思想が、日本の武士道を表わす言葉とし
外国人によって語られたことを知ったとき、本当に感動した。

そして日本人の無関心さに落胆したのを覚えている。

私がここでこの言葉を取り挙げたのは、この思想が第十戒を貫くの
最も必要な考え方となり、また第十戒を貫いていれば徐々に芽生え
来る思想だからに他ならない。

自己固有の運命を生きることだけが、人生を築き上げる。

そして愛のためにすべてをささげつくすのが、人類としての我々の
宇宙的使命を創っている。

その人類的使命が、日本の武士道に対して「運命への愛」という名
として与えられた。 >>続きはこちらから

超葉隠論121.

From : 田渕裕哉(2025/06/07 07:21:34)

おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得98.
指導者は命令が相手に遂行されるよう十分配慮しなくてはならない

現代文明を生み出したルネッサンスの終わりに、すでにこの傲慢は
あのモンテ―ニュによって指摘されていた。

モンテーニュはその「エセ―」第ニ巻第十二章において「実に我々
不遜を罰するために、我々の悲惨と無能とを思い知らせるためにこそ、
神はいにしえのバベルの塔の混乱を生じさせたのであった」と述べている。

これは近代に至って台頭し、現代を創った物質礼讃について言われた警告である。

しかし魂を軽視する文明に、この声も届くはずはないだろう。

第十戒は、超越的日常性を養う思想である。それは分かっていただけたと思う。 >>続きはこちらから

超葉隠論120.

From : 田渕裕哉(2025/06/06 07:50:43)

2025年6月6日(金)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得97.
指導者は戦わずして勝つことをめざさなくてはならない。

元々、騎士道や武士道は、高慢によって修行し、それを乗り越えて魂の価値に
目覚めるための「道」なのである。

葉隠の第十戒が、それを伝える金字塔とも言える思想と成っているのだ。

真の謙虚さが、人間存在の高貴性を支えている。

それを生み出すものこそが、負のエネルギーのみに価値を見出す精神だとも言えよう。

そこに至るまでの道程を、この第十戒は陰になり日なたにもなって信ずる者を
導く力があるのだ。 >>続きはこちらから

超葉隠論119.

From : 田渕裕哉(2025/06/05 07:12:09)

2025年6月5日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得96.
指導者は日々自分を励まし勇気を奮い起こすことが大切である。

史上最大の彫刻家だったあのミケランジェロは、その高慢によって
輝かしい自己の才能を開花させた人間だった。

「私は他人が死に至るであろうものを、糧として生きて来た」
そう言ったと伝えられている。

これは自信ではなく、高慢である。

私はそれを哲学者エミール・シオランの「涙と聖者」によって知ったのだ。

これは桁違いの大変な自負心が言わしめた言葉だ。

それゆえにミケランジェロの生涯は慟哭の連続だった。 >>続きはこちらから

超葉隠論118.

From : 田渕裕哉(2025/06/04 09:10:14)

2025年6月4日(水)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

指導者の心得95.
指導者は自由自在な発想の転換を心がけなくてはならない。

第十戒は、まず自己の存在に対する「自惚れ」が必要なことを我々に告げている。

まず高慢になる。そしてその高慢による壁にぶつかり続けることによって、
真の人間的価値に徐々に到達するのである。

第十戒は、山本常朝もそのような意味で、武士道を会得するために挙げたと言っている。

この物質に塗れた社会の中にあって「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」という信念を
もてば、必ず高慢な人間になる。しかし常朝は、それでいいと言っている。

「高所」から出発できないような人間には何も出来ない。 >>続きはこちらから

超葉隠論117.

From : 田渕裕哉(2025/06/03 07:47:47)

2025年6月3日(火)
おはようございます。今朝も曇りの千葉からです。

指導者の心得94.
指導者は自分の力より人の力を使うことが大切である。

人間は、負のエネルギーの実現にすべてを捧げなければならない。

その負のエネルギーを創り上げた武士道に身を捧げることが、
私にとっての宇宙的使命を遂行させてくれている。

葉隠を貫徹する全体思想が、この負のエネルギーに身を捧げる
思想だと分かると、特にこの第十戒の根源的エネルギーを認識
することが出来る。

しかし、それをある程度自分のものとするためには色々と問題
が生ずる。

私自身の人生も含め、この負の日常化の過程に潛む危険に、まず
晒されることとなる。 >>続きはこちらから

超葉隠論116.

From : 田渕裕哉(2025/06/02 13:47:39)

2025年6月2日(月)
おはようございます。今日は曇りの千葉からです。

指導者の心得93.
指導者はほめるべき時にほめることを惜しんではならない。

私は自分の生命が、人類すべての中で誰にも劣っているものではな
という信念によって、自己を立て続けて来たのである。

葉隠の第十戒が、そのような私を日々支え続けてくれた。

この第十戒は、私を運命の自覚まで連れて来てくれた。

負のエネルギーの価値を理解できる人間には成れたということなのだろう。

我々人間は、この世の物質である「正」の物質社会を乗り越えなければならない。

「負」の力の体現である愛や信や義のためだけに生きることが必要なのだ。 >>続きはこちらから