超葉隠論85.

From : 田渕裕哉(2025/05/02 07:06:42)

2025年5月2日(金)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得62.
指導者には大局に立ち小異を捨て大同につく心がまえが大切である

十七世紀の英国における清教徒革命が生み出した崇高な文学がある

ジョン・ミルトンの「失楽園」がそれだ。

私はこの長編詩によって、宇宙論と人間論、そして文明論の多くを学んだ。

それに付け加え、人類誕生の壮大なロマンティシズムまで与えてもらう
ことができた。

ミルトンには何と礼を言ったらいいか、言葉がない。

人類誕生のドラマを知るということは、人類の終末も知るということになる。 >>>続きはこちらから

超葉隠論84.

From : 田渕裕哉(2025/05/01 07:57:45)

2025年5月1日(木)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得61.
指導者は指導者としての主座を保っていなくてはならない。

革命は人間の魂にも降り注ぐ、宇宙の祈りでもある。

人間はこの地上に、この革命を為すためにやって来たのだ。

だから革命が人間の本来の姿と言っていい。

我々が勝手に築いた日常性は、この魂の革命を行なうための
基盤作りに過ぎなかった。

その基盤が、今まで勝手に一人歩きを始めてしまった。

この見方が人間論としては、最も正しい見方となるだろう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論83.

From : 田渕裕哉(2025/04/30 05:54:59)

2025年4月30日(水)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

指導者の心得60.
指導者は自分はできるだけ中央にいて部下を使うことが大切である

魂を失った人間は、人間ではない。

自然にも戻れず、動物になり切ることも出来ないだろう。

それでは何になるのか。私はそれを「家畜」と呼んでいる。

それは動物ですらない。何ものかに支配された「生き物」であるに過ぎない。

我々は今、新しい主人を求めて家畜化の一途を辿っている。

そこから、どれほどの人が抜けることが出来るだろうか。

少なくとも私は、人間の未来のために。出来得る限りの体当たりを敢行する
つもりである。 >>>続きはこちらから

超葉隠論82.

From : 田渕裕哉(2025/04/29 06:57:10)

2025年4月29日(火・祝)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得59.
指導者は基本を押さえ、あとは自由にまかせるようにしたい。

本気を突き抜けて、この世に死ぬ気の体当たりを敢行しなければならない。

水平の世においては、魂の垂直は気狂いなのだ。

しかし垂直の魂から見れば、水平はすべて物質であり、非人間的なのである。

葉隠がもつ非日常的な革命精神が分かると、葉隠が人類の未来まで透鉄して
いることもまた分かって来るだろう。

革命の先に、人間の未来があるのだ。水平は動物であり、ただの自然に過ぎない。

それは混沌の流れであり、人間に刻まれる時間ではない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論81.

From : 田渕裕哉(2025/04/28 06:57:33)

2025年4月28日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得58.
指導者はまず大義名分を明らかにしなくてはならない。

愛と優しさを説いたあのキリストでさえ「地上に平和をもたらすために、
私が来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである」
と、その「マタイ伝」で語っている。

これは人間の魂のために、垂直的思考がいかに大切なものであるか
説いているのだ。

垂直が無くなれば、人間存在理由はなくなる。

人間とは、この世に垂直を打ち立てるために存在しているのだ。

そして大地に向かっては、垂直をどこまでも穿つために存在している。 >>>続きはこちらから

超葉隠論80.

From : 田渕裕哉(2025/04/27 05:52:25)

2025年4月27日(日)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得57.
指導者は身をもって範を示す気概を持たなくてはならない。

私はその悲哀に生命の理想と魂の理想、そして文明の理想を見出している。

この理想に死んだ者たちの、生命的そして人間的な幸福を私は語っている。

これを間違いだと思う者は物質的で水平の価値に冒されている。

垂直を見上げる者にとって、深淵を見下ろすことは、同じ垂直なのである。

この武士道を残酷と取るか、崇高と取るかによって、魂の在り方全く変わってくる。

残酷と取る者は、限り無く動物に近づく人生を送ることになるだろう。 >>>続きはこちらから

超葉隠論79.

From : 田渕裕哉(2025/04/26 06:56:50)

2025年4月26日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得56.
指導者は即断即行を心がけなくてはならない。

第七戒
本気にては大業はならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり。

第七戒はまさに、この超越的下降がもつ武士道の美を理解したときに、
自己の体内深くに落ちるのである。

この武士道がもつ根源的悲哀を、最もよく表わす文字に田宮虎彦の
「落城」と「霧の中」そして森?外の「阿部一族」がある。

これらの作品において、武士道のもつ悲哀はその頂点を極めている

武士のもつ「意地」が、地上的な不幸そのものを創り出しているのだ。 >>>続きはこちらから

超葉隠論78.

From : 田渕裕哉(2025/04/25 07:02:58)

2025年4月25日(金)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得55.
指導者はつねに人に先んじて発想しなくてはならない。

葉隠のもつ革命性を前もって理解しておくことが必要となるのだ。

この地上の悲哀の中では、葉隠のもつその理想を理解していなければ、
その断行は思いも寄らないものとなってしまう。

我々はまずこの根源的悲哀と根源的悲痛、そして根源的厳格の前に立ち、
それを乗り超えることによって、初めて葉隠をその身の内に引き寄せる
ことが出来る。

これらの根源的実在のもつ苦悩は、大地の上における我々の魂と肉体が、
重力による本質的下降の圧力にさらされているからに他ならない。

その圧力を超越的下降と認識することによって、初めて葉隠的革命の力
に変換することが出来る。 >>>続きはこちらから

超葉隠論77.

From : 田渕裕哉(2025/04/24 04:57:27)

2025年4月24日(木)
おはようございます。今朝は涼しい朝の千葉からです。今日は札幌です。

指導者の心得54.
指導者はつねに将来を予見して手を打たなければならない。

第七戒
本気にては大業はならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり。

第八戒
不仕合せの時、草臥るる者は益に立たざるなり。

第九戒
必死の観念、一日仕切りなるべし。

第七戒から第九戒を、物質世界の中に立たされた魂のもつ悲哀と
捉えているのだ。

そう捉えたとき、この世を理想に向かう革命精神で生きることの
高貴性が、より浮き上がって来ると考えている。 >>>続きはこちらから

超葉隠論76.

From : 田渕裕哉(2025/04/23 06:19:36)

2025年4月23日(水)
おはようございます。今朝は福島県郡山からお届けしています。

指導者の心得53.
指導者は時に多数の意見を超える知恵を生み出さなければならない

葉隠が、地上に降り立った。

我々が、人間を乗り越えるためにそれは舞い降りたと言っていい。

それは、革命が地上的で日常的な出来事であることを表わすために
他ならない。

ドイツの哲学者ニーチェは「超人は大地の意義である」と語った。

ニーチェの言う超人とは、人間を乗り越えた人間ということである

私が超人間と呼ぶ、人間のこの地上での存在理由を追求する人と
いうことなのだ。 >>>続きはこちらから