From : 田渕裕哉(2025/06/05 07:12:09)
2025年6月5日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得96.
指導者は日々自分を励まし勇気を奮い起こすことが大切である。
史上最大の彫刻家だったあのミケランジェロは、その高慢によって
輝かしい自己の才能を開花させた人間だった。
「私は他人が死に至るであろうものを、糧として生きて来た」
そう言ったと伝えられている。
これは自信ではなく、高慢である。
私はそれを哲学者エミール・シオランの「涙と聖者」によって知っ
これは桁違いの大変な自負心が言わしめた言葉だ。
それゆえにミケランジェロの生涯は慟哭の連続だった。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/06/04 09:10:14)
2025年6月4日(水)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
指導者の心得95.
指導者は自由自在な発想の転換を心がけなくてはならない。
第十戒は、まず自己の存在に対する「自惚れ」が必要なことを我々
まず高慢になる。そしてその高慢による壁にぶつかり続けることに
真の人間的価値に徐々に到達するのである。
第十戒は、山本常朝もそのような意味で、武士道を会得するために
この物質に塗れた社会の中にあって「同じ人間が、誰に劣り申すべ
もてば、必ず高慢な人間になる。しかし常朝は、それでいいと言っ
「高所」から出発できないような人間には何も出来ない。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/06/03 07:47:47)
2025年6月3日(火)
おはようございます。今朝も曇りの千葉からです。
指導者の心得94.
指導者は自分の力より人の力を使うことが大切である。
人間は、負のエネルギーの実現にすべてを捧げなければならない。
その負のエネルギーを創り上げた武士道に身を捧げることが、
私にとっての宇宙的使命を遂行させてくれている。
葉隠を貫徹する全体思想が、この負のエネルギーに身を捧げる
思想だと分かると、特にこの第十戒の根源的エネルギーを認識
することが出来る。
しかし、それをある程度自分のものとするためには色々と問題
が生ずる。
私自身の人生も含め、この負の日常化の過程に潛む危険に、まず
晒されることとなる。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/06/02 13:47:39)
2025年6月2日(月)
おはようございます。今日は曇りの千葉からです。
指導者の心得93.
指導者はほめるべき時にほめることを惜しんではならない。
私は自分の生命が、人類すべての中で誰にも劣っているものではな
という信念によって、自己を立て続けて来たのである。
葉隠の第十戒が、そのような私を日々支え続けてくれた。
この第十戒は、私を運命の自覚まで連れて来てくれた。
負のエネルギーの価値を理解できる人間には成れたということなの
我々人間は、この世の物質である「正」の物質社会を乗り越えなけ
「負」の力の体現である愛や信や義のためだけに生きることが必要
From : 田渕裕哉(2025/06/01 07:08:26)
2025年6月1日(日)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。6月に入りまし
指導者の心得92.
指導者は自分に敵対する者をも清濁あわせ飲む大きな度量を持ちた
この思想を七十歳の今日に至るまで、自分なりに事業を通じ、
また著作や芸術活動を通じて現世に展開しているのだ。
私が築いた友情のすべて、また愛情のすべてで、この中心軸
に収斂しないものはない。
このような日常を私は養常という思想によって養って来た。
その結果、私は非日常なものが私にとっての日常と化するように
までなった。
今日現在の、私の日常は葉隠の思想だけで出来上がっている。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/05/31 07:55:56)
2025年5月31日(土)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
指導者の心得91.
指導者は何が正しいかを考えつつ進むべき方針を示さなくてはなら
私はこの体当たり思想によって、あらゆるものを乗り越え、
あらゆるものを身に付けて来た。
この思想が分かれば、この世に出来ないことない。
何でも出来ることが分かる。
いかに超越的な事柄でも、それを自己のものとすることが出来る。
その思想を養えば、それは自己の日常と化する。
私は若き日に、葉隠のような武士道を「負のエネルギー」の
地上的展開と自分なりに考えた。
その思想を自己の中で固めるために、もう五十年以上を費やしてい
From : 田渕裕哉(2025/05/30 07:01:02)
2025年5月30日(金)
おはようございます。今朝は三島からお届けします。
指導者の心得90.
指導者は天地自然の理にかなったことはすべて可能だと考えたい。
私はその道程を「養常の思想」として纏めている。
養常とは、常を養うとも読む。
つまり、非日常的なものを日常化していくその過程の在り方を言う
何かの思想を「養う」という考え方に変換することによって、
その思想を自分自身の血肉と化することを言う。
養うとは、人生の壁にぶつかり続けるということだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/05/29 07:15:57)
2025年5月29日(木)
おはようございます。今朝は越後湯沢からお届けします。
指導者の心得89.
指導者は視野を広く持つように心がけなくてはならない。
何ものかを成し遂げた人々が、人類の偉大な文明を築き上げて来た
自分もその末端に連なりたいという思いが、葉隠道を貫徹する気概
を維持させてくれたように思っているのだ。
その根源的な意志を支えて来た思想が、この第十戒なのである。
だから私は、この思想が私の運命を築き上げて来たと考えている。
自分の命を本当に愛すれば、歴史上の人間たちが成し遂げたことで
自分に出来ないことはないという信念を必ず掴むことが出来る。
そしてその思いさえ掴めば、本当にひとりの人間には何事でも可能
となるのだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/05/28 07:59:19)
2025年5月28日(水)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。今日は
指導者はつねに日に新たな思いを持たなければならない。
「葉隠十戒」も、ついに最後の第十戒の戒律まで辿り着いた。
私はこの第十戒に「永遠運命論」という名を与えた。
それはこの第十戒が、葉隠のすべてを日々実行する上で、
ことのほか大切な思想とも言えるものだからに他ならない。
第十戒は言う、「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」
この言葉に鼓舞されながら、私は何とか自己を支えて
今日まで生きて来た。
その自己自身の人生と照らし合わせて、この言葉のもつ
深淵はいくら語っても尽きないのだ。 >>>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/05/27 07:12:10)
2025年5月27日(火)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得87.
指導者は人を得るためにはまず強く人を求めることである。
まず矛盾と不合理を呑み込む一点である。
その一点が次の一点を生命の中に創造する。
人間とは、そのようにして崇高な魂に近づいていくのだろう。
山本常朝は、それを武士道の中に感じ、その思想を葉隠として
友人に語った。
人間の純粋な魂の在り方だけを考えることによって、常朝は
未来の人間までをも抱き締めたのである。
今日一日だけを生きるという最も小さな生き方が、そのまま
最も遠い過去と未来までを見つめた生き方に変換されたのである。 >>>続きはこちらから
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