超葉隠論71.

From : 田渕裕哉(2025/04/18 05:52:17)

2025年4月18日(金)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得48.
指導者はどんな人にも使い道があることを知らなければならない。

ローマ帝国の哲人プロチノスは、その「エネアデス」において、
「偉大にして最後なる戦いが、人間の魂を待ち受けている」
と語っている。

あの根源的一者の思想を確立し、キリスト教新プラトン主義という
ヨーロッパの源流となる考え方の一つを築いた人間の言葉である。

その深淵を、日々見つめ続けなければならない。

私は葉隠の現代的展開を考えるとき、いつでも「葉隠十戒」と共に
このプロチノスの言葉を思い出しながら、現世との戦いを決意している。 >>>続きはこちらから

超葉隠論70.

From : 田渕裕哉(2025/04/17 07:40:34)

2025年4月17日(木)
おはようございます。今朝も博多からです。今日は熊本です。

指導者の心得47.
指導者はその仕事が好きでなければつとまらない。

葉隠とは、日常を突き抜ける思想である。

それは日常の中に、非日常を突き立てることなのだ。

我々はそれを考え続けて来た。

そう生きたいと願い、そう死にたいと願っている。

そういう人間だけが、この本を読んでくれているに違いない。

葉隠的人生とは、永久の革命に向かって生きることに他ならない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論69.

From : 田渕裕哉(2025/04/16 05:25:42)

2025年4月16日(水)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。

指導者の心得46.
指導者は人を信頼し思い切って使うことが大事である。

葉隠の思想の根幹には、生命の垂直的生き方を問う
という本質がある。

この垂直的な思考には、自己自身を中心点として
上昇して行く垂直と、下降する垂直があるのだ。

歴史的に見れば、この下降側への垂直的生き方が、
武士道のもつ暗黒面として扱われることが多い。

そして、地上的な悲痛を伴って伝えられる場合が
多々見受けられるのである。 >>>続きはこちらから

超葉隠論68.

From : 田渕裕哉(2025/04/15 05:34:32)

2025年4月15日(火)
おはようございます。今朝は雨の千葉からです。今日は山口です。

指導者の心得45.
指導者はつねに身を正し信用を高めなくてはならない。

忍ぶ恋は、純愛が自己の存在そのものと化する。

断じてそれを行なう覚悟が問われるのだ。

忍ぶ恋で生きる覚悟、そして忍ぶ恋で死ぬ覚悟を
我々に問うているのである。

忍ぶ恋とは、愛や義や信をただ断行することではないのだ。

それらが、自己の存在そのものとなるところまで
行かなければならない。

つまり、それが負のエネルギーの体得である。 >>>続きはこちらから

超葉隠論67.

From : 田渕裕哉(2025/04/14 06:57:32)

2025年4月14日(月)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
新しい1週間の始まりですね。今日は長岡でセミナーです。

指導者の心得44.
指導者はじっと時を待つ忍耐心を持たなくてはならない。

暗黒流体は、宇宙に遍満する負のエネルギーとも呼ばれている。

その力で我々人間の魂が形成されている。

そしてその魂が、我々の肉体を支配するとき、そこに人類の
輝かしい文化が体現されていく。

その文化の中心的存在として、私は武士道と葉隠について話している。

負のエネルギーが浸潤していく過程こそが、我々人間の鍛錬と
呼ばれるものなのだろう。

その浸潤が、我々の存在のすべてを支配したとき、我々は本当の
意味で葉隠的人生を送ることが出来るようになるに違いない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論66.

From : 田渕裕哉(2025/04/13 06:08:04)

2025年4月13日(日)
おはようございます。今朝は涼しい千葉からです。

指導者の心得43.
指導者は失敗は本来許されないというきびしい考えを持ちたい。

恋の悲痛が、自己と宇宙を「我と汝」の関係を導き入れるのだ。

そこにおいて、初めて人間は永遠を掴み取ることが出来るのでは
ないだろうか。

そして永遠を感ずることによって、我々は真に何ものかを待つ
ことが出来るようになる。

この「我と汝」の関係は、他者の介入を許さない。

そこに忍ぶ恋の生命的本質があるに違いない。

忍ぶ恋は、自己と宇宙、そして自己と文明の間に「我と汝」の
関係を構築する力を持っているのだ。 >>>続きはこちらから

超葉隠論65.

From : 田渕裕哉(2025/04/12 07:03:01)

2025年4月12日(土)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得42.
指導者は私情をすて、適切な賞罰を行なわなければならない。

何ものかを恋することに、人生のすべてをかけるのだ。

初めに恋がなければ、愛は生まれない。

真の武士道は、恋に始まって愛の実現によって終わる。

その愛の実現が、切腹であることも有り得るということに
なるのだろう。

葉隠は愛の問題を扱っている。だから、私は葉隠によって
人類的問題のすべてを理解して来たのだ。

葉隠の武士道の中に、愛が深く沈潜していたからに他ならない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論64.

From : 田渕裕哉(2025/04/11 05:34:35)

2025年4月11日(金)
おはようございます。今朝は雨上がりの千葉からです。

指導者の心得41.
指導者には人をいつくしみ人びとの幸せを願う心が必要である。

日本の武士道よりも厳しい生き方をした人間たちが、
初期のアメリカ合衆国を創った。

その者たちはピューリタン(清教徒)と呼ばれていた人々だ。

その中のひとりに作家ウォルド・エマーソンがいる。

その「エッセー」は、私の座右を離れたことがない。

その中に「優雅でなくては、人生ではない」というものがある。

これが、世界史上、最も厳格な信仰的生き方をした人の人生観なのだ。 >>>続きはこちらから

超葉隠論63.

From : 田渕裕哉(2025/04/10 05:45:40)

2025年4月10日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得40.
指導者は小事をおろそかにしてはならない。

忍ぶ恋の恋心こそが「切腹」を生み出した。

自己の生き方を、最も美しく終わらせるために切腹はある。

切腹とは、真に生きるために死ぬということなのだ。

だからこそ、切腹という儀式ををもって、日本の武士道の
真の「優雅」を感ずる西洋人が多かったのだ。

フランスの作家モーリス・パンゲもそのひとりだ。

パンゲは、日本の武士道に「自己責任」というものの
極点を見出していた。

そして日本の武士道の本質を「運命への愛」と喝破していた。 >>>続きはこちらから

超葉隠論62.

From : 田渕裕哉(2025/04/09 08:30:08)

2025年4月9日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得39.
指導者はつねに出処進退を過たないことが大切である。

我々の父祖は、魂の充電を宗教や武士道、そして騎士道によって
行なって来たのだ。

だからこそ、いま我々がこのように安穏と暮らしていける社会がある。

その核心を体得しなければならない。

その最も深いものが、忍ぶ恋だとも言えるだろう。

何ものかに恋い焦がれる魂、そして何ものかを愛し苦悩する魂が、
人間の世の中を創り上げている。

ここにおいて、現代文明が「放電」だけの文明であることを
認識しておくのは無駄ではあるまい。 >>>続きはこちらから