From : 田渕裕哉(2025/03/17 07:42:43)
2025年3月17日(月)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得16.
指導者には断固事をやりぬく気迫が大切である。
葉隠の言う「忍ぶ恋」は、沈黙の愛である。
そして、それが自分の身を裂く本物の苦悩を伴う愛である以上、
そのすべてが「忍ぶ恋」となるのだ。
一生に亘って口に出すことも出来ぬ愛。
相手のためにすべてを捧げ尽くす愛。
これらすべてが、自己の武士道である「忍ぶ恋」を創り上げる
ことになる。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/03/16 07:17:40)
2025年3月16日(日)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
指導者の心得15.
指導者は真実を直感的に見抜くカンを養わなくてはならない。
魂の無限上昇を伴わぬ恋愛はすべて、葉隠の言う恋愛ではない。
自己の運命に向かっていることを信ずるに足る、何ものかを
感じているかどうかの問題である。
何ものかを待っている魂だ。
魂を震わす何ものかの到来を待つその心こそが、永久恋愛の
根源を創ることになる。
何ものかの到来を待つ「祈り」が、本当の恋愛を生み出す。
それを現わす最も有名な恋愛が、日本武尊とその妃・弟橘媛の
「永遠の愛」だろう。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/03/15 07:44:23)
2025年3月15日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得14.
指導者は何ごとに対しても深い感謝報恩の念を持たねばならない。
永久恋愛とは、無限の彼方に向かう遠い憧れに生きることを言う。
憧れは、遠いともしびを見つめて生きることに他ならない。
遠いともしびを見つけることは、魂の崇高さを仰ぎ見続けることと
言ってもいい。
その生き方の中から、特に憧れの地上的展開を重んずる事柄を永久
恋愛と名付けているのだ。
これは恋愛の本質である宇宙的実存の地上的展開と表せるものでも
From : 田渕裕哉(2025/03/14 07:13:25)
2025年3月14日(金)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。
指導者の心得13.
指導者はいいことよりも悪いことを喜んで聞くようにしたい。
私は死ぬ日まで、体当たりを徹底的に続ける所存である。
それが出来るのは、自己の人生が中途挫折でよいと思っているから
未完の人生、中途挫折の人生を受け入れることによって、真の体当
人生で勇気が最も大切なものだと言われる所以がここにある。
犬死を受け入れて生まれる勇気こそが、生命の完全燃焼を成し遂げ
これを阻害するものが、現代を覆う成功思想と幸福思想である。
それらの考え方が、無闇と他者に認められたいと思う心情を生み出
From : 田渕裕哉(2025/03/13 07:12:28)
2025年3月13日(木)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得12.
指導者には適度のきびしさとやさしさが必要である。
葉隠は未完の人生、つまり犬死の人生を受け入れることを要求して
人間として真の自由を得るか、また屈従の日々を選ぶかの問いを突
パトリック・ヘンリーは「自由か、しからずんば死か!」と言った
生命が真に生きるには、基本的に命懸けの自由を得る必要があるの
命よりも大切なもののために生きてこそ、初めて人間の人生と言え
犬死や中途挫折、つまり未完の人生を恐れたら、すでに挑戦すら出
From : 田渕裕哉(2025/03/12 07:59:15)
2025年3月12日(水)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。
指導者の心得11.
指導者は自他相愛、共存共栄の精神を持たなくてはならない。
葉隠は、自らのもつ徹底的な不合理によって、却ってこの世の合理
ともなっている。
徹底的な思想と行動は、陰陽逆転を招き、徹底的な科学性すら生み
葉隠とは、その不合理さえ信ずれば、このような力を内包する書物
「我々は聖霊に向かっていくのだ」これが葉隠の「永久燃焼論」な
死に向かって、生の限りを尽くす体当たりの貫徹ということである
聖霊に向かって行くとは、崇高な死を迎えたいということである。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/03/11 07:54:17)
2025年3月11日(火)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。
指導者の心得10.
指導者は人、物すべての価値を正しく知らねばならない。
我々人間は、宇宙の本源である愛に生きることに最大の「正義」が
愛に生きるとは、真の生命燃焼を抱き締め、死の崇高を仰ぎ見て生
ことに他ならない。
現世の毀誉褒貶などに動かされることなく、自己に与えられた生命
と魂の崇高に思いを馳せなければならない。
カントは「目的のない合目的性」と生命論で表現した。
本当の生命の力とは、目的をもたないほうが、却って目的に沿って
ことができるという考え方だ。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/03/10 07:56:00)
2025年3月10日(月)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の心得9.
指導者は大事にいたれば、度胸をすえてそれにあたることである。
簡単に言えば、現世の利益の少ない道のほうを選ぶということに尽
決意さえあれば誰にでも出来る簡単なことと言えなくもない。
得をしようと思うから、迷うのである。
みじめでも何でも、生きたいと思うから迷うのだ。
葉隠は、前もって高貴で崇高な死に方とそこから生ずる生き方だけ
説いている。
それ以外の生を欲しなければいいのだ。 >>続きはこちらから
From : 田渕裕哉(2025/03/09 06:47:39)
2025年3月9日(日)
おはようございます。今朝は昨晩の雪が少し残っている千葉からで
指導者の心得8.
指導者は危機にあっても冷静でなければならない。
「早く死ぬほう」とは、現世的な「得」を捨てたほうということで
そして自己の死に方と生き方を取るという道のことなのだ。
つまり、苦しい道、困難な道、悲哀を含む道、悲痛の待っている道
ことになるだろう。
それらが、人間の生命の本質である限り必ずそうなるしかないのだ
辛く悲しいことだけが、自分の生命の本当の価値をこの世に現世さ
そして現世の物質界や他者の評価を受け難い道ということでもある
From : 田渕裕哉(2025/03/08 07:23:45)
2025年3月8日(土)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。
指導者の7.
指導者はつねに自分の考えを訴えなければならない。
燃える生命を支える力が、冷たく静かな負のエネルギーによって
もたらされていると分かる必要がある。
葉隠に生きるとは、そういうことに挑戦する人生でもあるのだ。
負のエネルギーが、計測不能の「流体」として我々の見える世界
を支配している。
それはすべての物質の中に浸潤し、その物質の生命を生かしても
いるのだ。
その浸潤を感ずることが出来れば、自己の生命は完全燃焼に突入
していくだろう。
そうすれば、死を想うことが生を生かすことに繋がっているのが
認識されるに違いない。
そして葉隠が、未来に向かう流体そのものであることを理解する
だろう。 >>続きはこちらから
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