超葉隠論96.

From : 田渕裕哉(2025/05/13 07:24:34)

2025年5月13日(火)
おはようございます。今朝はいわき市からお届けしています。

指導者の心得73.
指導者は自分の力で泳ぎ切る覚悟がなくてはならない。

葉隠十戒 第七戒
本気にては大業ならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり。

第七戒においては、本気ぐらいでは革命は成せないと言っているのだ。

本気ではせいぜいが、この世のことぐらいしか成せない。

死に狂いとは、肉体の根源、そして魂の淵限から湧き出づる慟哭に
よってのみ成される、真の体当たりに他ならない。

そしてそれだけが、真の未来を切り拓くことは随分と述べてきた。

無限に向かって、大跳躍をするその心意気に、人類の魂はかかっている。

あの唐の魏徴が「述懐」において「人生意気に感ず、巧名誰かまた論ぜん」
と謳ったのは、まさにこの謂いである。 >>>続きはこちらから

超葉隠論95.

From : 田渕裕哉(2025/05/12 07:59:35)

2025年5月12日(月)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

指導者の心得72.
指導者に徳があってこそ、はじめてもろもろの力が生きてくる。

人間の魂が進化すれば、国家はなくなる。

そのときこそ、自らに課せられた宇宙的使命を遂行する真の人類が
この地上を覆うことになるだろう。

葉隠は、それを言っている。山本常朝は、人類の起源を感じていた

そして人類の未来もまた見通していたのだ。

その深い霊性によって、自分の生きる現世を見ていたに違いない。

私には、その時間軸の測り方がよく分かる。

そうでなければ、葉隠は絶対に書けない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論94.

From : 田渕裕哉(2025/05/11 07:39:11)

2025年5月11日(日)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得71.
指導者は自分の力を超えた運命というものも考えてみたい。

レーニンも、革命の本当の理想は魂の革命だと思っていた。

しかし当面の問題として、共産革命に走ったのだ。

レーニンの本来的な思想は、すこぶる深いものがある。

それは血の中にうずくロシア正教会の「神秘思想」である。

魂の無限進化を願う切ないほどの「祈り」だ。

レーニンが日本の武士道に惹かれていたことが伝えられるのも、
理由のあることだった。

レーニンは信じていた。 >>>続きはこちらから

超葉隠論93.

From : 田渕裕哉(2025/05/10 07:51:56)

2025年5月10日(土)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

指導者の心得70.
指導者は天地自然の理を知り、これに従うことが大切である。

魂の無限進化という革命に向かう気概を失った人類に、もう未来はない。

私は武士道の復活に、日本の未来をかける者のひとりだ。

もちろん、魂の革命とは真の永久革命のことを言う。

たとえ物質革命であっても、それはやはり人類的な意味をもっているのだ。

私は現代の家畜化した文明社会を見るとき、あのロシア革命すら人間的共感
を覚えてしまうのである。

私は共産主義は大嫌いだが、あのロシア革命に燃えた人々の魂には共感する
ものが多い。

ロシア革命を指導したあの偉大なレーニンに私は共感するのだ。 >>>続きはこちらから

超葉隠論92.

From : 田渕裕哉(2025/05/09 07:49:26)

2025年5月9日(金)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得69.
指導者はものごとを公の立場で考えなくてはならない。

私は武士道の中で葉隠だけが未来を創造する力をもつと考えている

それは葉隠が、狂気に近い純心と清純をもっているからに他ならない。

つまり青春の力である。青春の力を失えば、宇宙も生命も文明も、
あらゆるものはすべて滅び去る。

我々人類は、いまや老い果てている。いや老いさらばえたと言うべ
だろう。

科学文明と民主主義によって、我々は安楽と幸福ばかりを求める
動物に成り下がってしまった。魂の鍛錬を忘れてしまった。 >>>続きはこちらから

超葉隠論91.

From : 田渕裕哉(2025/05/08 06:22:59)

2025年5月8日(木)
おはようございます。今朝は東京のホテルからです。今日は新潟でセミナーです。

指導者の心得68.
指導者は自分の競争相手にも学ぶ心がまえが大切である。

「もっと大きい、もっと大事な幸福がある」

これが、原始キリスト教を貫徹していた信仰なのだ。

不滅性への渇望であり、魂の無限進化への憧れと言っても
いいだろう。

私はこの中に人類文化の中枢を見る。

人間の存在理由を見るのだ。

魂の崇高を願う人間は、宗教であると文化であるとを問わず、
同じものを見つめている。 >>>続きはこちらから

超葉隠論90.

From : 田渕裕哉(2025/05/07 07:48:59)

2025年5月7日(水)
おはようございます。今朝はさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得67.
指導者はそれぞれの人の持ち味を知って用いることが大切である。

革命精神を語るとき、私はいつでもローマ帝国の迫害を三百年以上
耐え抜いた、原始キリスト教徒の生き方を話している。

原始キリスト教は、垂直の精神の鑑である。

何の得もなく、信仰が見つかれば十字架の処刑しか待っていなかった。

永遠を求めて、信者たちは三百年もの間、秘密の信仰を守り続けたのだ。

私は原始キリスト教社会に、葉隠の精神そのものを見出している。 >>>続きはこちらから

超葉隠論89.

From : 田渕裕哉(2025/05/06 07:59:22)

2025年5月6日(火・祝)
おはようございます。今日は曇りの千葉からです。

指導者の心得66.
指導者は一面部下に使われるという心持ちを持たねばならない。

人類は安楽と平和を求めて、いま家畜と成り果てる寸前にいる。

私はもちろん、安楽や平和を否定しているのではない。

ただ、それに?み込まれれば、我々は人間ではなくなると言っているのだ。

魂の戦いと進化を忘れた人間は人間ではない。

人間の歴史を鑑みれば、狂気と呼ばれた人間たちが歴史と文明を支えて
来たのが分かる。

大衆が歴史を創ったことはない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論88.

From : 田渕裕哉(2025/05/05 05:22:36)

2025年5月5日(月・祝)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

指導者の心得65.
指導者は人間みな兄弟の思いを持たなくてはならない。

サタンの存在が、人間の魂から勇気を生み出している。

だからサタンに負ければ、我々の魂から勇気が消え失せる
のだろう。

宇宙空間から天降るサタンは「失楽園」の圧巻である。

しかし、それこそが我々人類の存在理由なのだろう。

サタンと戦える「生き物」は人間しかいない。 >>>続きはこちらから

超葉隠論87.

From : 田渕裕哉(2025/05/04 05:48:08)

2025年5月4日(日)
おはようございます。今朝もさわやかな朝の千葉からです。

指導者の心得64.
指導者はあらゆる面にダム経営を心がけることが大切である。

サタンは確かに魅力がある。美しくまた健やかだ。

しかし、人間はそれと戦うために神によって創られたのだ。

自然や動物から限り無く離れて、魂の垂直的価値を求め
続けることがそれに当たる。それが人間だ。

魂の戦いとは、悪(サタン)との戦いなのだ。

人間にとっては、動物も自然も、すべてが悪の一員となっていた。 >>>続きはこちらから