From : 田渕裕哉(2011/01/27 07:37:52)
おはようございます。昨夜、家のそばで猪が出没しました!
2月5日(土)10:00~17:00、東京にて、
「人間力・人間関係力トレーニング」1日セミナーを開催します。
また2月11日(金・祝)10:00~17:00、東京にて、
「コミュニケーションの達人養成」1日セミナーを開催します。
両方とも限定10名の徹底したコースでスゴい内容です。オリジナル・テキスト付き。
先着10名で締め切りますので、お早めにお申し込みください。
詳しくはコチラ ⇒ http://www.tabuchihiroya.com/m/seminer.php
B君が「なぜなんだ!」と言わなければならない状態になったのは、
なぜでしょうか?それは行動の原則が『自己依存』だったからです。
「A君のように他者に影響されてはいけないのなら、
自己を頼りにすればいいではないか」と思うかもしれません。
確かにそうです。A君よりは豊かな環境に近づきはします。
目的に向かって自らがエンジンを持ち、
主体的に自らの意思と行動で動くからです。
その結果、行動することで社会が提供してくれる
「目標達成のためのさまざまな貴重なヒント・情報」を
きちんと把握し善後策を取ることができます。
しかし、この『自己依存』の考え方には落とし穴があります。
From : 田渕裕哉(2011/01/26 07:55:23)
おはようございます。昨夜は日本対韓国のサッカー興奮しました。
1月29日(土)13:00~15:00に名古屋にて、
「マンダラ目標設定」のセミナーを開催します。ほぼ満席です。
ご興味ある方は、詳細をメールしますので、
ask@dc-group.co.jp まで「詳細メール希望」で返信してください。
A君が「どうしてなんだ!」と言わなければならない
状態になったのは、なぜでしょうか?
それは行動の原則(基本の考え方)が『他者依存』だったからです。
他者、つまり「周囲の人や第三者に依存した」
思考と行動をしているということです。
A君の場合は上司の指示・命令です。
これがすべてだととらえて行動すると、
何のための行動かという目的意識を見失います。
自分を失くし、指示・命令どおりの行動そのものが目的になってしまいます。
その結果、責任感・分析力・認識力がなくなります。
社会は行動することによって「目標達成のためのさまざまなヒント・情報」を
常に与え続けてくれています。
From : 田渕裕哉(2011/01/25 07:14:55)
おはようございます。今日は夕方、東京で2時間のセミナーがあります。
2月5日(土)10:00~17:00、東京にて、
「人間力・人間関係力トレーニング」1日セミナーを開催します。
また2月11日(金・祝)10:00~17:00、東京にて、
「コミュニケーションの達人養成」1日セミナーを開催します。
両方とも限定10名の徹底したコースでスゴい内容です。オリジナル・テキスト付き。
先着10名で締め切りますので、お早めにお申し込みください。
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違う考え方の3人の若者の1年後を見てみましょう。
A君は宣言どおり、上司の指示・命令をとにかく忠実にこなしました。
日報も誰にもひけをとらない几帳面なものです。
成果はどうでしょう?
もちろん真面目な態度が功を奏することも少なくありません。
しかしいつもよいとも限りません。
1年を経過して結果として成績はあまりいいとは言えず
上司の評価もA君の満足のいくものではありません。
A君は考えます。
「どうしてなんだ。とにかく言われたことはきっちりやっている!」と。
B君は宣言どおり「目標を達成する」という目的に向かって邁進しました。
思うような結果が出ないときも自分なりに考えて頑張りました。
From : 田渕裕哉(2011/01/24 07:43:16)
おはようございます。今朝の千葉は珍しく曇っています。
1週間のスタートです。元気と勇気を持って前進しましょう!
営業部門に配属された新人の3人の若者の話をしたいと思います。
A君、B君、C君です。イメージしてみてください。
同じ大学を卒業して、ある会社に入社し3人共、将来を嘱望される
気力・体力・能力に恵まれた前途洋々、意気盛んな若者です。
数ヶ月の研修を受けたあと、それぞれのエリアに配属されることになり、
杯を交わしながら仕事に対する姿勢を話し合いました。
A君は「とりあえず上司の指示命令は確実にこなすつもりなんだ。
1日10件の飛び込み訪問とか、1ヶ月に最低2回のユーザー訪問とか、
言われたことは必ずやる。それには自信があるし、
社員として当然だと考えている」
From : 田渕裕哉(2010/12/19 07:24:40)
おはようございます。今朝の千葉も快晴です!
クリスマスが近づいてきましたね。
夜のイルミネーションが美しいです。
クリスマス特別企画があります。お見逃しなく!
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普通の教育なら高杉晋作の場合「頑固」というものは短所として、
どのように直してあげるかといったことをしますが、
吉田松陰の場合、短所をも長所に変える豊かな発想と、
大きく受け止める包容力を持って、晋作を育てました。
「個性を生かす」というと、個性というものを
勘違いしている人がたくさんいます。
「個性的な生き方」というものは、自分勝手に生きることではなく、
個性というものは、周囲とは違うこと、協調しないことではなく、
個々を特徴づけている性格、自分の持ち味、
自分独自にしかないものを表します。
それが周りの人たちから自分勝手に見えるのです。
From : 田渕裕哉(2010/12/18 07:36:56)
おはようございます。今朝は寒い千葉からです。
今日は教会のクリスマス会に参加します。
吉田松陰が塾生に残した訓戒の一つに
「学者になってはいかぬ、人は実行が第一である。
書物の如きは心がけさえすれば、実務に服する間には、
自然に読み得るに至るものなり」というものがあります。
これは頭の中だけの学問では意味がない、実践こそ価値があるのであり、
行動する中で自然に学ぶことができる学問というものを伝えようとした言葉です。
松陰は学問を教えることよりも、
学問を通じてどれだけ自分を生かせるかを教えようとしました。
それには誰に対してでも同じ教育の仕方ではなく、
一人一人の特徴、性格というものをつかみ、各自に合った方法で行ないました。
From : 田渕裕哉(2010/12/17 07:22:12)
おはようございます。今朝もいい天気の大阪からです。
あの「地に倒れる衝撃を受けた」という感想をいただいた
伝説の1日セミナーのDVD5枚組+文字おこしテキスト付きが、
クリスマス特別価格!これで2011年の準備はバッチリ!
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アメリカを変えたと言われるケネディ大統領が
1962年(昭和37年)に大統領になったときの就任演説で
「国家が自分に何をしてくれるかを考えるのではなく、
自分が国家のために何ができるかを考えてもらいたい」と言いましたが、
これは民主主義が行きすぎ自分勝手な個人主義に陥っている
アメリカ国民に訴えている言葉です。
これは何かと言えば、実は「個は全であり、全は個である」
という組織の仕組みを意味しています。
ケネディ大統領は、この考え方を江戸時代に山形の米沢藩を立て直した
上杉鷹山(ようざん)から得たと言われています。
つまり日本的な考え方なのです。
From : 田渕裕哉(2010/12/16 07:18:05)
おはようございます。
今日は大阪の堺市で1日、企業研修です。
「さざれ石」の姿というものは、こだわりを持って
一つの姿を作っているのではなく、あらゆる個性を認め、
それを受け入れる包容力があります。
そして自然のままに寄せ集められながらも、
がっちりとした一つの巌を作り上げています。
すなわち個は全で、全はまた個であるということです。
ただ個々がバラバラであったとしたら、
人間社会は成り立っていきません。
人というものは寄り集まって生きていて、
他から切り離されては存在できません。
この「全」、いわゆる組織全体と、「個」、
すなわち個人というものをそれぞれに生かすことが
組織の発展につながっていきます。
From : 田渕裕哉(2010/12/15 07:37:02)
おはようございます。
明日は大阪で企業研修があり今日は大阪に行きます。
「さざれ石」を人間社会に置き換えてみると、世の中には大勢の人々がいて、
個々の特性、特徴、性格はバラバラですが、それをお互いに許し合い、
認め合って組織というものが出来上がっていきます。
個々のものが集合して、全体という一つのものになっていく、
それが統一された組織です。
それを自分の考えだけを正論として、他人の個性は認めない。
何でも自分のカラーに染めてしまおうとすると、ワンマンになり、
結局は組織崩壊になります。
自分の思いどおりにしようとするときこそ、思うようにならないものです。
それは「我」を通そうとするからであり、我は裁き心に通じるからです。
From : 田渕裕哉(2010/12/14 06:06:59)
おはようございます。いつもありがとうございます。
今朝は寒い福島県白河市からです。1日企業研修です。
「さざれ石」と「君が代」の関係を調べてみました。
平安朝時代に近江の国から藤原朝臣石位左衛門という人がいました。
木地碗の良材を求めて美濃の山中へ木を探しにやってきたところ、
この岩を見て「何と素晴らしい石だ」と思ったそうです。
それを自分がお仕えしていた天皇に捧げる意味で
「わが君は、千代にましませ、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」
という「君が代」の本歌を詠んだのでした。
それを紀貫之が905年(延喜5年)に「古今和歌集」を編纂し、
巻第7の賀歌の中に入りました。
それを明治13年に宮内庁の雅楽の楽士林広守さんという方が、
今の曲をつけたのです。
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