毎日が小さな修行9.

From : 田渕裕哉(2023/03/07 08:00:38)

2023年3月7日(火)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

もしかしたら、あなたの心が穏やかでないときは、
あなたの心の問題ではなく、あなたの周りの「人口密度」の問題かもしれない。
自然は精神的な機能を回復させる。

親子の関係、先生と生徒もそうですが、
教え導いてくれる人の存在は非常に大きなものです。

私の師匠は他界してしまいましたが、心の中には今でも師匠がいます。

本当にありがたいものだと思います。

ただ単に自分の持っている技術や知識を弟子に教える。

受け手の弟子側は、それを一方的に教わるという関係だけでは、人間は成長しません。

人にはさまざまな心の状態があります。修行僧でも悟りとは
「ほど遠い」者もいれば、悟りに「近づきつつある」心の状態にある者もいます。

そうした弟子の心の状態に応じて、ときに飴と鞭を使い分けて、
その人が伸びていきやすいように教え導く。

それには単に教えるだけでなく、師に心から我が子を思うような
慈愛に満ちた愛情がなければなりません。

そして弟子も、師匠に尊敬と敬意を払う態度をどんなことがあっても崩さない。

そこに初めて真の師弟関係が結ばれ、真の教育が成り立ちます。

慈眼寺では今年もたくさんの野菜をつくりました。

千三百個の白菜、三百個のキャベツ、二千本という大根を収穫しました。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行8.

From : 田渕裕哉(2023/03/06 07:59:14)

2023年3月6日(月)
おはようございます。今朝は雨が上がった千葉からです。

今、何か困っていることがあるなら、現在に集中するための好機ととらえよう。
障害や困難や恐れというのは、しょせん、想像の産物だ。
一瞬一瞬を新たな気持ちで生きよう!

どんなに辛く苦しいことがあっても、努力の炎だけは絶やしてはいけません。

どんな達人といわれる人でも、第一歩を踏み出したときは初心者です。

この初心の段階から一歩一歩努力鍛錬を積み重ねて、
達人といわれるまでに成長するのです。

その間には、迷い、悩み、苦しむこともあるでしょう。

逆に迷わなければ、技術も精神も、成長しません。

少しずつ努力を積み重ねていって、初めて成果が表れるのです。

人間はなぜ迷うのでしょうか。

それは、自分の思い通りにならないことを思い通りにしたいという我欲にかられ、
思い通りにならない不平や不満を人のせいや環境のせいにして、
自分を庇う生き方をするからでしょう。

そうやって自分で迷いの世界を彷徨っているだけなのかもしれません。

たとえばお坊さんは「穏やかで慈しみのある心になりますように」
ということを一つの目標に修行をはじめます。

早起きをし、滝に打たれ、食事をせず、山々を歩く。

これは自分が穏やかになるための一つの手段であって、
それが出来たからといって、何も偉くなどありません。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行7.

From : 田渕裕哉(2023/03/05 07:48:42)

2023年3月5日(日)
おはようございます。今朝は新潟県の長岡からお届けします。

なにを成し遂げるかがわからなくても、自分はどうすると幸せなのかは分かろう。
成功とは、達成が指標になるわけではない。幸福度が指標になるのだから。
なにを目指すかより、誰となにを分かち合うかを考えよう。
達成より幸福は尊い。幸福になりながら、達成へと至ろう。

今日は午前中に畑で作業をしていて、雨が降り出すまでのほんのわずかな時間に
「パッと行きましょう」と収穫を終わらせました。

畑というのは、ご存知の通り、雨が降ったらしばらくは入れません

そして九月上旬のこの季節になると、晴れても畑の湿気がなかなか
抜けなくて耕せなくなります。

そうすると、種蒔きの時期が遅くなり、芽が出る時期も遅くなります。

結局、十分に育たたないまま冬になって失敗してしまいます。

今日も少し雨が降りはじめましたが、もしかすると畑を
耕せるかもしれないと考えて、五分、十分という時間で小さい畝を耕し、
来年の畑の肥料になる窒素分の多いレンゲソウの種を蒔くことができました。

雨が降り出したから「もうダメだ」というのではなくて、
お天気と相談して「ここを攻めたら、これぐらいできるかな」
と創意工夫を次から次と考えてみる。

こういう攻めの姿勢が後々効いてきて、人としての成長にもつながっていきます。

誰かにお仕えさせていただき、皆さんが喜んでくださったら、自分の心が潤います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行6.

From : 田渕裕哉(2023/03/04 06:39:40)

2023年3月4日(土)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

独学とは、誰かが書いた本を学ぶことではなく、自らが立てたテーマ(問い)を
追求していくためにしていること。「あなたは何のテーマを追いかけているのか?」
「問い」のないところに「学び」はない。
そして「問い」を生み出すのは「好奇心」と「情熱」と「出会い」

自分の中で「何時までに終わらせる」という区切りを決めて、
その時間まで精一杯、一心不乱に自分の力を出し切りました。

そういう小僧の頃からの積み重ねが千日回峰行に反映されたと思います。

「一時間でやってください」といわれても、一時間を越えてしまう人もいます。

中には一時間半かけてゆっくりとやってくる人もいます。

しかし私は、一時間といわれた中から、どれだけ時間を短縮して、
相手が喜ぶ質の高い仕事ができるかを考えました。

そして予定より十分でもニ十分でも早く帰ってきたら、
先輩の許可を得て、短縮できた分を自分の学習の時間に当てることができました。

ホラ貝の練習をしたり、勤行の技術を高めることに使ったのです。

その結果、勉強もできて技術も高まりました。

やる気一つですべてが相乗効果となって、全体がそういう雰囲気になり、
自分の置かれている環境も良くなるのです。

ですから、与えられた環境の中でいかに妥協せずに一日を過ごすかだと思います。

「妥協できるとしても、我慢して妥協しない」。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行5.

From : 田渕裕哉(2023/03/03 06:37:30)

2023年3月3日(金)
おはようございます。今朝は寒いですがいい天気の千葉からです。

悪いアイデアは、悪い未来をつれてきて、
良いアイデアだけが、良い未来をつれてくるというのは大間違い。
悪いアイデアの先に、良いアイデアがまっていて、
それは反対のものではなく、ひとつながりのもの。

私は、まだ若かったので、山の歩き方もわかりません。

力に任せて勢いよく登って途中で休憩していると、おっちゃんがぼちぼちと歩いてきました。

するとまた「亮潤さん、先に行ってください。わしは足が遅いさかいに、
ぼちぼち行きますわ」というので、私はまた勢いよく進みました。

そして途中で休憩しておにぎりを食べていると、また、おっちゃんがぼちぼちと歩いてきました。

結局、山頂に着いてみれば、足が遅いといっていたおっちゃんと、
かかった時間はほとんど変わりませんでした。

そこから私は「ぼちぼち」という言葉が好きになって、
ぼちぼちと根気よく丁寧に千日を歩くことを心がけました。

これをモットーにして、調子のいいときには自重して体力を温存して、
その分しんどいときに力を出し切れるよう、淡々と同じペースを
守りながらぼちぼちと行じることを心がけました。

体調も崩すこともなく、大きな怪我をすることもなく、四万八千キ
という長い道のりを無事行じ終えることができたのは、それが理由だと思います。

人生だって毎日がいいことばかりではありません。

晴れのヒモあれば雨の日もあるように、いろいろと思いがけないことが起こることもあるでしょう。

しかしどんなことが起ころうとも、あせらずに、
ぼちぼちと目標に向かって前に進んでいると、何か見えてくるものがあります。

そんな、一つひとつの積み重ねが人生なのだと思います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行4.

From : 田渕裕哉(2023/03/02 06:15:41)

2023年3月2日(木)
おはようございます。今朝は寒い朝の千葉からです。

ゆっくり、静かに、ものごとをみて、考える時間を持ちましょう。
1週間に1時間。たとえ退屈だなって思っても、想像力が枯渇するよりはマシ。
あなた独自の発想は、ゆっくりと、静かに動いているのです。

毎日四十八キロを歩く千日回峰行にしても、今日という日を大切に
そして少しでも人としての正しい道、真理に近づこうと、
一歩一歩しっかり地に足をつけて、目を凝らし、耳を澄まし、
何かこの大自然が教えてくれるものはないかと精根尽きる果てまでやれば、
たった一日歩くだけでもへとへとになります。

それを日々繰り返して千日歩けば、千個の功徳を積むことができるのです。

しかし、今日一日、手を抜いてしまえば、次の日は二個の功徳を積まなければなりません。

翌日も疎かにしたら、三日目は三つ積まなければならなくなってしまいます。

そうなれば、だんだん苦しくなります。

逆に、今日は翌日の分まで功徳を積み上げていこうという意気込みでいると、
努力の貯金ができるのでしょうか。

どんどん気持ちが前向きになって、辛いことも辛くなくなり、むしろ楽しくなってきます。

そして不思議なことにどんなに極限に追い込まれても、前向きな気持ちになれるのです。

そういう体験を行の中で何度も繰り返し体験しました。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行3.

From : 田渕裕哉(2023/03/01 06:19:08)

2023年3月1日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

決まった流れのことに取り組む場所と、新しい流れを生み出す
場所を分けよう。できたら「隔離された場所」をもとう。
孤独な時間は、天才性が目覚める。

生きていれば、いろいろな感情が湧いてくることがあるでしょうが
いついかなるときでも、自分の心をコントロールできるようになりたいものです。

そのためには、人生の歩き方の基本や、ルールを知らなければなりません。

しかし、それは決して難しいことではありません。

私の師匠は「弟子に教えることなどない」と言い切った方でした。

ただ一緒に生活をして日常のことから学びとってもらうしかないということなのです。

師匠の立ち方、座り方を見て習い、日常の挨拶や返事一つも疎かにしない、
そんな基本が大切だというのです。

たとえば、どんな人に対しても敬意をもち、どんなことにも感謝する心をもち、
常に自己を省みて向上心をもつこと。

これらはとても簡単で、誰でも知っているようなことです。

しかし、一日の中でたったこれだけでも、完璧に実践しようと思ったならば、
とても大変なことかもしれません。

簡単なことだからこそ、あまり研究しない、深く研究しないのかもしれません。

とかく現代は人生というものを考えるとき、知識や理論でもって
アプローチしてしまう傾向が強いようです。

しかし、基本的な実践をすることにより「より」魅力的な人間味
あふれる人となることができますので「行」「学」この二つの道を
究めていただき、生きる幸せを実感していただければ幸いです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行2.

From : 田渕裕哉(2023/02/28 06:22:55)

2023年2月28日(火)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

脳は、いくつものことを同時に検討するのは得意ではない。
だから、表にしてみて、検討しよう。重要なことを放置しないようにしよう。

行の世界では、いったん修行がはじまれば、途中でやめることは絶対にできません。

日々、生と死が隣り合わせの厳しい大自然の中で、自己を見つめ、
至らぬところを反省します。

それゆえに日常生活では感じ取れないようなことに感謝をし、
涙を流すときもあります。

ときには、九日間もの間、飲まず、食べず、寝ず、
横にならないという極限の状態も体験しました。

何故このような極端な修行をしなければならないのかというと、
人生の大学のようなものなのです。

毎日、同じことの繰り返しの修行生活の中で、一つひとつを真剣に
取り組んでいると人生のヒントになるようなことが少しずつですが
見えてくるときがあるのです。

たとえば、世の中は自分の思い通りになることばかりではありません。

そのような状態になったときに、なんでどうしてと心をふさぎ込んでしまったり、
他人を責めたりしたことはないでしょうか。

そして、気づかないうちに、相手を嫌ったり、恨んだり、
心が闇の方向に向いてしまった経験はないでしょうか。

でも、このような生き方は、実はとても下手な生き方なのです。

私も若い頃、心が闇にとらわれていた時期も当然ありました。

ただ、それでも、心のどこかで光ある方向に向いて歩いていこう
という意志だけは忘れずにおりました。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行1.

From : 田渕裕哉(2023/02/27 06:13:41)

2023年2月27日(月)
おはようございます。今朝は一段と寒い朝の千葉からです。

スキルを速く習得できない大きな原因の1つは「すぐに満足感を得たいという欲求」
せめて20時間待とう。そのために30分かけて「具体的な1つのサブスキル」と、
それをどう練習するかを明らかにしよう。その創意工夫がスキル獲得のコツ。

今日から30代で1,300年に2人しか達成していない千日回峰行を
満行した塩沼亮潤氏の「毎日が小さな修行」からお届けします。

今日という日は人生にとってかけがえのない大切な一日だと思うのです。

そして、その日の出会いに感謝して、穏やかに明るく楽しい時間を
皆と共有できたならば、素晴らしい一日となり、心が充実することでしょう。

しかし、人間関係はとても微妙で、また繊細で、ちょっとした
言葉のトーンや顔の表情でバランスを崩したり疎遠になったりするものです。

私も若い頃は、なぜなんだろう、どうしてなんだろうと思い悩んだりしたものです。

しかし、今となってはなんであんな小さなことでつまずいていたんだろう、
もっと上手に心を転換して生きればよかったのにと思うことがたくさんあります。

しかし、誰でもはじめから上手にできる人なんておりません。

成長のポイントは、研究心と探求心を長く持ち続けることなのです

その結果、少しずつ見えてくること、わかってくるものがあり、
人生の歩き方がだんだんと上手になってくるのです。

そして、いつしか、その人が置かれている環境、またいろいろな出来事、
すべてが人生の修行であると思うようになりました。 >>>続きはこちらから