動きたくて眠れなくなる5.

From : 田渕裕哉(2023/04/15 06:57:35)

2023年4月15日(土)
おはようございます。今朝は恵の雨の千葉からです。

目標達成を、より加速させてくれるには、そのプロセスで没頭できるとよい。
没頭できるためには、1.ちょっとハードルの高いゴール
2.ライフテーマ の2つを手掛かりにしてみよう。

「この決断によって、その後の人生が大きく変わった」なんていう話をよく聞く。

でも本当は一回の決断で、人生が変わることなんてない。

あなたの人生は、毎瞬、毎瞬の小さな「決断」の積み重ねによって作られているからだ。

言い換えると「人生を変えた」というのは大きな決断をした後、
小さな決断をコツコツくり返した結果のことをいう。

あなたは、つねになんらかの「結果」を出すために「行動」している。

その「行動」を作っているものは「こうしよう」と思ったあなたの「決断」。

決断→行動→結果

そしてその「決断」に影響を与え続けているのはなんだろう。 >>>続きはこちらから

動きたくて眠れなくなる4.

From : 田渕裕哉(2023/04/14 09:05:24)

2023年4月14日(金)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

仕事を通してなりたい自分に近づいていく行動をする。
ダイエットも、貯金も、整理整頓も、副業も、スキルアップも、
すべては仕事。その仕事によって自分らしさが形作られていく。

どのように行動を変えるのか?

怖い→これから経験していないことが起こるかもしれない。
だから、でいるだけ準備しておこう。
準備ができたら、心配せずにうまくいくことについて考えよう。

傷ついた→期待していたことと、相手にギャップがあった。
だから「自分はどういう期待をしていたのか?」
「なぜ相手がそういう行動をとったのか?」を確認しよう。
イライラする→今とっている行動は、のぞむ結果をもたらしていない。
やり方を変えるいいタイミングだ。別の結果が出るだろう。 >>>続きはこちらから

動きたくて眠れなくなる3.

From : 田渕裕哉(2023/04/13 07:21:43)

2023年4月13日(木)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。今日は朝から東京です。

達成の喜びは一時的ですが、あなたがどんな人間になったか
ということは、永続する喜びを与えてくれる。

もっと「快感」を効率的に得るために必要なのは「痛み」から
逃げないという心がまえだ。

質の高い「快感」というものは、たいてい「痛み」の先にあるからだ。

「自分は痛みに弱い」と思っている人もいるだろう。

では、痛みから逃げない人というのは、痛みを感じにくいということなんだろうか。

答えはノー。感情はみんな平等に与えられている。

たとえどんなに立派な人でも、不安やプレッシャーを感じない人はいない。

ただその感情に対する意味づけが、人によってかなり違ってくるんだ。

一般的な「痛み」の感情のとらえ方はこんな感じだろうか。

怖い→過去にいやな思いをした。避けるべきだ!

傷ついた→自分が下が見られた。バカにされた。

怒り→許すんじゃない。このままにしておくな!

イライラする→思い通りにいっていない。からだに悪い。
いったんやめた方がいいんじゃないか。一服した方がいいぞ。

落胆→自分の力ではどうにもならない。どうせ自分なんてダメなんだ。

罪悪感→全力で消す必要がある。最悪なことをしてしまった。

場違いな感じ→逃げ出せ!こんなとこにいるべきじゃないんだ。

絶望・無力感→どこにも行けない。もうどうすることもできない。

孤独→私は愛されていない。私は誰からも必要とされていない。

多くの人は、こんな風に「動きたくなくなる」意味づけをしている>>>続きはこちらから

動きたくて眠れなくなる2.

From : 田渕裕哉(2023/04/12 07:03:10)

2023年4月12日(水)
おはようございます。今朝は風の強い曇りの千葉からです。

「心の底から道を究めようとするものは上であり、
名誉利益を得ようがためにするものは下である。」(吉田松陰)

いまどんな感情を持っているのか。

その種類によって世界の見え方やまわりの評価、
出せる能力ががらっと変わってくる。

本番にリラックスしていれば、練習よりもすばらしい結果が出ることもあるし、
不安や焦りを感じていれば、練習では出せなかったようなミスも出る。

そんな経験をよくするせいか、なんとなく感情には
「自分の背中を押してくれるもの」と「足を引っ張るもの」が
存在するように思えてしまう。

でもまずはじめに言っておこう。

からだの器官がすべて不可欠であるように、無駄な感情なんて一つもない。

いますぐ「自分を邪魔する感情がある」という考え方は捨てた方がいい。

すべての感情はいつでもあなたの役に立とうとしてくれている。

あなたの人生がより良い方向に進むように、24時間見守ってくれている。

感情と正しくお付き合いをするためには、
まず自分の感情を全面的に信頼することからはじめよう。

では自分の中から、どういう感情が生まれるのか。

感情を表す言葉はたくさんある。

ワクワク、がっかり、どきどき、ムカムカ、よっしゃ!のんびり・・・
あげればキリがないけれど、大ざっぱに言ってしまえば2種類。

感情には「快感」と「痛み」しかない。

そして人は「快感」を求め「痛み」を避けるために行動する。 >>>続きはこちらから

動きたくて眠れなくなる1.

From : 田渕裕哉(2023/04/11 06:56:54)

2023年4月11日(火)
おはようございます。今朝は美しい朝の千葉からです。

自分の役割をはっきりと自覚し、その役割をどう全うしていくかのゴールを立てる。
それが人生にバランスと心の平安をもたらす鍵。
役割は責任感をもたらし、責任感はやり遂げる力をもたらす。

やってみたいと思っていても「不安」で手が出せなかったり、
やるべきことだとわかっていても「面倒くさくて」手が出なかったり、
いつもならうなくいくのに「プレッシャー」でのぞむ結果を出せなかったりする。

もちろん自分の行動は、自分の考えで決めている。

でも行動に移せるかどうかは、結局そのときの「感情」次第。

本当は「自分の行動は、すべて『感情』に支配されている」ことを
今までの経験からよく知っている。

それなのに多くの人は自分の感情について知ろうとせず、
どう向き合うべきなのかもあまりよくわかっていないようだ。

なぜなら「自分の感情は、まわりの状況が決めているもの」
「感情に負けるのは、心が弱い証拠だから」という風に思われているからだろう。

たしかに、もしもまわりの状況が気分のすべてを左右するなら、
人生の大半は感情の力に押し流されていく。

でも、そうじゃない。

感情は「眠い」とか「お腹が空いた」というのと同じように、脳の中で
起きているただの化学反応だから、自分の意思でコントロールすることができる。

そして法則をつかんでしまえば、その力を活用することができる。

あなたがのぞむ方向へと、あなた自身をどんどん動かすために。 >>>続きはこちらから

一日一生4.

From : 田渕裕哉(2023/04/10 07:47:40)

2023年4月10日(月)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

正しくやろうとせずに、愛着を大切にすれば、仕事への取り組む姿勢は変わる。
愛着は、あなたの人間としての証であり、愛着を仕事場にもちこめば、
あなたは職場で「人間」としていることができる。

「なぜ二度、千日回峰行をしたのですか」って聞かれて
「何もすることがなかったから」って答えると、
あきれられるんだけど、本当に他にやることがなかったの。

他にやることがあれば他のことやってたかもしれないけど。

新しいことを何か始めたってすぐにボロが出ちゃう。

「らしく」みせたって、背伸びしたって、焦ったって、あわてたって、
人間、自分の「地金」は必ず出てしまうものなんだよ。

ならば「これだ」と自分で思ったことを繰り返しやっているのが
いいんじゃないのって思った。

それでもう一度千日回峰行をしたの。

二度目も、ずーっとやっているうちに気が付いたらおしまいになっちゃった。

二度終わったので、それからは日本のあちこちや、海外の聖地を歩いている。

ずーっと同じようなことをやっているわけだな。

もちろん、物事には目標もあるしゴールもあるけど、
昨日何かが終わったからといって、突然、次の日に、
今までと全然違う新しい世界が開けるなんて、人生はそういうもんじゃないね。

でも何も変わらないようにみえても、自分自身はいつもいつも新しくなっている。

毎日毎日生まれ変わっているんだよ。一日だって同じ日はないしな

今日一日歩いた草鞋を脱ぐ。明日は新しい草鞋を履く。

今日の自分はもう今日でおしまい。明日また再生される。 >>>続きはこちらから

一日一生3.

From : 田渕裕哉(2023/04/09 06:50:35)

2023年4月9日(日)
おはようございます。今朝は新潟からです。

永続的な幸せとは「物質的な富」を貧欲に求めることを進んで放棄し、
「非物質的な富」に自分の意識を集中することから生まれる。
すなわち、愛や思いやり、優しさ、知性や貢献心など。

回峰行の師であった故・箱崎文応師が昔、子供のころに聞いたとい
小名浜の大泥棒の話をしてくれたことがある。

その大泥棒、なんと福島県の小名浜から夜な夜な宮城県の仙台まで
歩いて泥棒に行ってたんだって。

泥棒して、また仙台から小名浜に帰る、いったいどうやって歩いてるんだ?」
って聞かれたら「休み休みやってるから疲れないんだ」って説明したという。

どういうふうにうまく歩いたのかっていうと、右足、左足って、
体のいろんな部分を交代で意識しながら歩くんだって。

右が疲れてきたら左足、左が疲れてきたら右、という具合だね。

いよいよ両足がくたびれたら腰、その次は首に意識を集中する。

「今度は右の方、頼むぞ」とその部分に気持ちを集中して歩くんだって。

そうして左の肩で歩いたり、右の肩で歩いたり。

歩きながら肩を振ったりして、そこに精神を集中させる。

その間に別のところがみんな休んでいるっていうわけだ。

そのうち疲れてきたら、今度はバトンタッチして、
別のところに精神を集中して歩いていく。

そういうふうにやってたから、スピードが落ちることなく、
ずっと早足で行けたんだって。

老師は、ぼくが千日回峰行をやる時に、
参考にしたらいいと言ってこの話をしてくれた。

「おれもな、自分が回峰行をやるときに、この話を実行してやったんだけど、
一つだけできないことがあった」という。 >>>続きはこちらから

一日一生2.

From : 田渕裕哉(2023/04/08 07:28:24)

2023年4月8日(土)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

事業の根幹は、オペレーション。
「品質を高く」「納期を守り」「顧客のニーズを満たす」
現場こそが事業の中核なのです。

実際の年齢よりもずいぶんお若く見えますねえとか、お肌がきれいですね、
どうしているんですか、とよく聞かれるけど、健康でいられるのは
毎日毎日、同じように暮らしているのがいいんじゃないかな。

だいたい朝の三時半から四時ごろ起きて、滝に入って顔を洗って、
バケツの水をずーっとお堂に配ってお清めをして、本堂に行ってお勤めをしている。

お客さんが来ればお相手したり、雑務などもして、夕方からお勤めして食事。

それから一、二時間ひと寝入りする。夜の零時半くらいまで、
あれこれ仕事して。またちょっと寝て・・・。

それを毎日毎日繰り返し、くるっくる、くるっくる、やってるんだよ。

食べる量は少ないかもしれないな。

一日二回、ソバや豆、野菜をちょっとずつ。間食はしない。

あまりお腹すかないの。お茶一杯飲めば一食したような感覚になっちゃう。

よく、みんなにね「そんな生活して、だいぶお金残したでしょう」
なんて言われるんだけど、それが、全然残んないんだよ。

うまいことできてんねえ。

「二度の千日回峰行を経てどんな変化がありましたか」とよく聞かれるけど、
変わったことは何もないんだよ。

みんなが思っているような大層なもんじゃない。

行が終わっても何も変わらず、ずーっと山の中を歩いているしな。

「比叡山での回峰行」というものでもって、大げさに評価されちゃってるんだよ。 >>>続きはこちらから

一日一生1.

From : 田渕裕哉(2023/04/07 06:29:46)

2023年4月7日(金)
おはようございます。今朝は西明石からお届けしています。

「ある」まずは、自分の現在地を知ること。
ある→する→なる
すると私たちは新たな自分がスタートします。
そして、次の「ある→する→なる」がはじまります。
この終わりなきサイクルを回し続けることが人生ゲームのポイント

行に入ると、毎朝毎朝、草鞋を履いて出て行く。

登りが10キロ、わりと平坦な道が10キロ、
下りが10キロの道を毎日ぐるぐる歩く。

そうして一日山を歩き通して帰ってくると、
草鞋がくたびれてボロボロになっている。

翌日はまた、新しい草鞋を履いていかないといけない。

それを、毎日毎日、繰り返していたら、ある時、草鞋が自分に見えてきたんだ。

草鞋はボロボロになっちゃった。もし自分が草鞋だったら、
今日でおしまいなんだなあって。

明日になるとまた新しい草鞋を履く。

それは、また生まれ変わるみたいだなあって。

一日が終わって、また生まれ変わる。

草鞋も人間も同じなんじゃないかなって。

山をトットコトットコ歩いている時は、動きの世界。

一日履いた草鞋を脱いで、お経を上げたり、
横になったりしている時は、静かな世界だ。

静かな世界が終わると、朝になり、また動きの世界が始まる。

動と静っていうのは背中合わせ。

動があるから、静があり、静があるから、動がある。

人生で置き換えるなら「動」というのは生きること。

「静」というのは死の世界。

生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。

今日の自分は草鞋を脱いだ時におしまい。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行39.

From : 田渕裕哉(2023/04/06 06:39:17)

2023年4月6日(木)
おはようございます。今朝は博多からお届けしています。

目標を達成して得るものはさほど大したものではない。
目標を達成することで手に入れた自分自身の方がよっぽど大事だ。

私の師匠が大切にしていた言葉があります。

「一に勤行、二に掃除、三に追従、四に阿呆」という言葉です。

一と二はお坊さんの作務として基本中の基本、当たり前の勤めです

三の追従というのは、人が喜ぶことをすること。

相手の欠点を批判するのは簡単ですが、喜ぶようなことをするのは大変です。

そして、四の阿呆は素直になり切るということ。

たとえば「おまえは阿呆だね」といわれたら、にこにこして
「はい、阿呆です」といえるぐらい、自分を常に謙虚に置く。

そういう人は、阿呆になり切ることができます。

しかし、中途半端な人に「阿呆」というと「阿呆とは何事だ」と
怒り出してしまいます。

三、四となるにつれ難しくなっていきますが、人が喜ぶようなことをして、
自分が謙虚になり切ることはお坊さんの基本です。

この言葉が道場に入ると額に飾ってありました。

それを毎日読んで、どういう意味かなと、
深い世界の中で自分を深めていくわけです。

日々精進し、挑戦する先に、それらが自然と身についた自分が見つかります。

自分がやらなければならないことにプラスアルファして
人を喜ばせることを考えると、今日より明日、明日より明後日と
日を追うごとに、人格は高まっていきます。

基本は同じことを同じように繰り返すこと。

情熱を忘れずに、日々蓄積していくことです。 >>>続きはこちらから