禅の言葉に学ぶ人生の教訓4.
From : 田渕裕哉(2014/03/06 06:26:11)
おはようございます。今朝は中津からお届けしています。
今日は中津で一日、企業研修です。
全国7ヶ所の工場で研修をさせていただいています。
今日が最後の7ヶ所目です。楽しみです。
あなたは失敗を恐れずチャレンジする人生を歩んでいるでしょうか?
それとも、失敗を恐れ行動しない人生を選んでいますか?
失敗したって、なにも命まで取られるわけではありません。
開き直るのではなく、そのくらいに腹をくくって、
かまえていたらどうでしょうか?
禅語に「本来無一物」という言葉があります。
人間は本来、なにひとつ持たずに生まれてきたのだ、それが人間の本来の姿
なのだから、執着するものなど、どこにもない、という意味です。
現在、就いている仕事を失いたくない、というのも「執着」です。
現実問題として職を失ったら、生活をどうするかなどの問題はありますが、
それはそうなったときに考えればいい。
どんなに大きな失敗をしても、企業が、
そんなに簡単に人を解雇することはできません。
仮に解雇になったとしても、本来の姿に戻っただけ、
振り出しに戻っただけのことなのです。
そして、そこから始めるだけの力は誰にでも備わっています。
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禅の言葉に学ぶ人生の教訓3.
From : 田渕裕哉(2014/03/05 07:30:58)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。
今日はアポイントがあるため福岡に行きます。
最近は成田から行けるので、とても便利です。
夜は中津に泊まります。楽しみです!
あなたは、今の仕事に「本気」で取り組んでいますか?
そして、仕事が「楽しい」、毎日が「楽しい」と感じているでしょうか?
多くの人が、生きている実感にも乏しい、極端に言えば、仕事も人生も、
なにもかもが「つまらない」という感覚が広く蔓延しているのが、
現代の特徴かもしれません。
つまらないから、不平不満を抱くようになるし、悩みのネタにもなります。
ここで自分の心に問いかけてみてください。
どんな仕事なら、本気で取り組めるのか、
どう生きたら自分が輝いて楽しいと感じることができるのか?
答えは出ましたか?
確かなことは、ひとつしかありません。
本気で取り込める仕事がどこからもたらされるわけではない、
ということです。
待っていれば楽しい人生といつか出逢えるわけではないのです。
そうです。
「いま」している仕事に「本気」になるしかないのです。
生きている「いま」を楽しむしかないのです。
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禅の言葉に学ぶ人生の教訓2.
From : 田渕裕哉(2014/03/04 07:47:43)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
私は自分のルールをつくり、それを必ず守っています。
それは朝の時間を大切にして、次のことを毎日やることです。
毎朝1時間 目的、目標について瞑想する
毎朝1時間 運動、妻との散歩、コミュニケーション
毎朝1時間 英語の勉強をする
毎朝1時間 本を読み素晴らしい言葉を書く(メルマガも書く)
朝の4時~8時は、その時間に使っています。
あなたは時間を使っているでしょうか?
それとも、時間に使われているでしょうか?
心身ともに健全で、しかもハツラツと生きるためには、
生活のリズムを崩さないことが大切です。
起きる時間も寝る時間も、その日その日でバラバラというのでは、
いい体調は保てませんし、心も疲れてくると思います。
しかも、始末に悪いのは、人間は、だらけようと思えば、いくらでもだらけられる。
怠惰に流れれば、際限なく流れてしまうのです。
ですので、どこかで歯止めをかける必要があります。
私は、自分の中に、生活のリズムを保つための「ルール」をつくっています。
私は朝の時間を大切にしています。
一番エネルギーが高いからです。
ほぼ、毎朝、一定の時間に起きて、ほぼ4時間くらいは、毎日、やることが同じです。
それを続けていくことに喜びを感じています。
皆さんの中には、ギリギリまで眠っていて、
慌てて朝のスタートを切る人もいると思います。
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禅の言葉に学ぶ人生の教訓1.
From : 田渕裕哉(2014/03/03 07:50:33)
おはようございます。今朝も寒く曇りの千葉からお届けします。
ヤンキースの田中投手は、さすがでしたね。素晴らしいデビューでした。
海外で活躍する日本人に励まされます。私たちも夢を大きく持ちたいものです。
さて、1週間のスタートです。最高の1週間になりますように!
大横綱の双葉山が69連勝したあと、70勝目を狙った勝負で負けたとき、
師と仰いでいた安岡正篤さんに宛てて残した言葉が
「いまだ木鶏たりえず」という言葉だったそうです。
木鶏とは木彫りの鶏です。
軍鶏どうしを闘わせる「闘鶏」で最強なのは、なにがあっても心を動じることなく、
泰然自若としている木鶏であるとした、荘子の言葉を用いたものですが、
70勝目の勝負で心が動いた自分は、いまだその域に達していない、
と自戒を込めて、師にこの言葉を伝えたものと思われます。
心技体がともに最高度に充実していたとされる双葉山にして、なお、
心に揺れが生じることがあるのですから「木鶏たる」のは、まさしく至難のわざです。
悪いことが起きたり、つらい境遇に立たされたりしたら、
気持ちが落ち込んでもいいのです。
そのうえで、負の心をプラスに転じていく、それが禅の教えです。
ある禅僧についての次のようなエピソードが伝わっています。
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ちょっと面白い有益な話7.
From : 田渕裕哉(2014/03/02 07:51:32)
おはようございます。今朝は雨模様の寒い千葉からです。
昨日申し上げた3月22日(土)に開催するセミナーですが、
詳細が長いため、このあと朝9時に別メールで配信させていただきます。
ご興味のない方には、大変申し訳ありませんが、ご了承ください。
私は今日は八千代の教会に行きます。
日本の教育に「競争原理」があります。
テストは、その一例です。
勝つ者がいれば、当然ですが負ける者がいます。
だから、半分の人間しか幸せになれないことになります。
つまり「みんなが幸せになれるはずがない」というのが競争原理です。
本当に愛のある人ならば、あらゆる人が幸せになってほしいと
願うのではないでしょうか?
すべてのものが幸せになってほしいということです。
ところが、日本の社会は「あらゆる人が、幸せになってはならない」
という競争原理によって成り立っている社会です。
そういう社会は、実は、おかしな社会なのです。
例えば、日本の民話に「ウサギとカメ」の話がありますが、
日本人は諦めずに最後まで努力したカメを立派だと思っています。
でも、これは「競争原理」ですね。
面白い話があります。
インド人に「ウサギとカメ」の話をしたところ
「ウサギは、ノープロブレム、カメに問題がある」と言いました。
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ちょっと面白い有益な話6.
From : 田渕裕哉(2014/03/01 07:30:31)
おはようございます。今朝も曇りの千葉からお届けします。
時の経つのは早いものです。今日から3月に入りますね。
東京で3月22日(土)に特別なセミナーを開催します。
詳細は、明日、お知らせします。皆さまのご参加をお待ちしています。
今日は「お釈迦さま」の話をします。
アールンクヤープトラという弟子がいました。
彼は年老いてから出家し、あちこちを遊行していましたが、
あるとき、お釈迦さまの説法を聞いて感激し、弟子となりました。
しかし、彼は、どうやら理屈屋であったようです。
哲学的な問題に頭を悩ませていました。
例えば「この宇宙は有限か、無限か?霊魂と身体は同じものか否か?
死後の世界はあるのか、ないのか?」といった問題でした。
そして、彼はお釈迦さまに「死後の世界はあるのでしょうか?」と何度も問いました。
ところが、お釈迦さまは一切答えません。
マールンクヤープトラは
「今日こそ答えてくださらなければ、教団から出て行きます」と言います。
そんな彼にお釈迦さまは次のように説きました。
「マールンクヤープトラよ、ここに一人の毒矢で射られた男がいる。
毒が回って命が危ない。皆は医者を呼んできて、毒矢を抜こうとする。
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ちょっと面白い有益な話5.
From : 田渕裕哉(2014/02/28 07:39:32)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。
関東地域は、今日は4月並みの陽気だそうです。
私はまだ大丈夫ですが、そろそろ花粉の季節が来ますね。
週末は、また寒くなるようです。体調には十分注意してくださいね。
昨日は「神におまかせする」という話をしました。
今日はイスラム教の「イン・シャー・アッラー」という言葉をご紹介します。
イスラム教の聖典である「コーラン」の第18章23節には
「おまえたちは、私は明日これこれのことをすると言ってはならない」
と書いてあります。
「明日のことを言うな」というのです。
その次の24節には「ただし、イン・シャー・アッラーといえば、よろしい」
とあります。
この「イン・シャー・アッラー」とは「もしも、神さまがお望みならば」
という意味です。
つまり「私は、明日これこれのことをすると言ってはならない。
ただし、もしも、神さまがお望みならば、という言葉を付け加えればよい」
と書かれているわけです。
私たち人間には、明日のことは分りません。
ですので、明日のことを言うとき『もしも、神さまがお望みならばと言え』
ということが、イスラム教徒の掟なのです。
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ちょっと面白い有益な話4.
From : 田渕裕哉(2014/02/27 07:50:00)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。
私は神さまの存在を信じています。神さまが私たちの天の父であると信じています。
父ですので、私たちを子どもとして愛してくださり、助けてくださると信じています。
神さまの存在を信じていない人もたくさんいらっしゃると思います。
今朝は、そんな人に神さまの存在を信じるメリットをお話します。
今日は「銭形平次」の話をしましょう。
ある男が、自分の娘を痛めつけるヤクザを殺してしまいます。
その男が逃げていくのですが、平次親分は、その男をみすみす見逃す場面があります。
子分の八五郎が「親分、逃げていきますんで。いいんですか?」と聞きます。
「なあに、いいとも。八。これからのことは、神さまがしてくださるよ」
そう平次親分は答えるのです。
これは素晴らしい言葉ではないでしょうか?
「逃げていった先で、幸せになれるのか苦しむことになるのか、
それは神さまに任せておけばいいじゃないか。なにも、追いかけていくことはない」
この考え方は「幸せ」な考え方だと思います。
多くの人は、どんな小さな罪でも、きっちりと罰しないと気が済まない
という心が非常に強い場合があります。
人を罰することに、目をつり上げて、そんなに夢中になるのは、おかしいと思います。
なぜなら、本当の真意は、神様しか分らないからです。
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ちょっと面白い有益な話3.
From : 田渕裕哉(2014/02/26 07:34:42)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。
真央ちゃんが会見で、森元首相の発言に対して、
「私はまったく気にしていませんが、森さんが後悔してると思います」
と言ったのは、さすがでしたね。これがベストの答えだと思います。
今日は東京と新横浜でミーティングがあります。
有名な話で大岡越前の「実母継母の子ども争い」の裁きの話があります。
父親が死んで、一人の子どもが遺産相続をします。
ところが、先妻と後妻が共に「私が産んだ子なのだ」と主張して争います。
大岡越前は、二人の女のいずれかが実母かを裁定しなければなりません。
そこで「子どもを中に置いて、二人が両方から手を引きあえ。
勝ったほうに子どもを渡すことといたそう」
二人の女が綱引きをして、真の親かどうかを決めるというのですから、
まったく無茶苦茶です。
両方から引っ張られて、子どもは「痛い、痛い」と泣きます。
すると、一人の女が手を放し、もう一人の女が子どもを抱き抱えました。
子どもを抱いた女が、勝ち誇って言います。
「お奉行様、これでこの子は私のものですね」
そのとき大岡越前が判決を下します。
「待て、偽り者!そのほうこそ偽り者であるに違いない。
まことの親であれば、痛がって泣くわが子の不憫さに、思わず手を放すであろう。
そのほうは、まことの親ではない!まことの親は、そこで泣いている女のほうである!」
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ちょっと面白い有益な話2.
From : 田渕裕哉(2014/02/25 07:46:28)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。
昨夜は妻と娘とウオーキングをして楽しみました。
今日は夫婦で広尾に行きます。デートのようなものです。
明日の夜は家族みんなで集まり食事をします。家族は本当に特別ですね。
昨日はコインで有罪か無罪かを決めるという話をしました。
十八世紀、プロイセンでも同じようなことがありました。
あるとき、美少女が殺害されて、二人の被疑者がつかまります。
二人の男は、ラルフとアルフレッドと言います。
近世のことですから拷問などにかけるのですが、
二人とも「自分はやっていない」と言い張ります。
そこで「神意裁判」が開かれることになりました。
神に裁いてもらって、真犯人を決めようとするものです。
その裁判は、フリードリッヒ・ウィルヘルム公自らが裁判長になって行われます。
公はまず二つのサイコロを持ってきます。
二つのサイコロをそれぞれ被告に渡して、出た目の和の多いほうが無罪で、
少ないほうが犯人とされます。
ラルフが最初に二個のサイコロを投げると、二個とも六の目を示しました。
目の和は十二です。サイコロの目は一から六までですので、
これ以上の数はありません。
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