毎日が小さな修行23.

From : 田渕裕哉(2023/03/21 06:10:27)

2023年3月21日(火・祝)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

偉大なリーダーは、最初はただ自分の人生を生き、自分を存分に
表現したいと考えていたにすぎない。そして他者と交わり、自分の
習得したスキル、才能、エネルギーをすべて使って、自分のビジョンを
はっきりと示す。最初に思い描いた自分を目指し、そのプロセスを楽しむ。

上手でも下手でも精一杯勤めさせていただくことが大事です。

達人といわれる人でも、初めて体験することは、その第一歩からはじまっていきます。

一歩一歩を積み重ねることによって、
やがて達人といわれるるような境地に達していくのです。

私がお坊さんになった二十五年前の話です。

得度式のとき、師匠は弟子になるすべての者の頭にカミソリを当てました。

そして、仏縁があって仏の弟子となり日常の修行を積んでいく弟子たちに
「自分が人から尊重されたかったならば、まず初めに目の前の人を尊重することである」
という話をされました。

それ以降、何百回、同じ話を聞いたかわかりません。

この「まず初めにどんな人をも尊重する」ということで、思い出に残る話があります。

修行生活がはじまって何年かした頃、お寺が忙しいときに来る
中井のおじさんという人と出会い、親交を深めていきました。

その方は本山の信徒で、本山が忙しくなると、
わざわざ伊勢のほうからお寺まで手伝いにきてくれるのです。

聞いたところによると、昔は非常に気性が激しかったそうですが、
父親の病気を機に、信仰の世界を大事にするようになったということでした。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行22.

From : 田渕裕哉(2023/03/20 07:27:01)

2023年3月20日(月)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

繁栄する企業の持つ2つのもの。
1.「大切にしていきたいもの」を決め、100パーセント一貫して守り続ける。
2.それ以外は、100パーセントのエネルギーで、すべてを変え続けること。

薫習とは、お香が衣などにその薫りを自然に移していつまでも残ることです。

それと同じように、自らの行為が相手の心に習慣となって残っていくのです。

お坊さんは、体からお香の薫りがするようになって初めて一人前といわれます。

人生の原点は、慈しみの心を持ち善い行いをすることです。

ものすごくシンプルで、簡単で、当たり前のことですが、
心の中でそう思っても、頭の中で考えても、それだけでは何もなりません。

ただただ繰り返し心がけることが大切です。

そうすると、自然にその人がとても良い雰囲気の人間になってきます。

いろいろな知識を詰め込んでも、人間的に魅力がないと、
人を魅了することはできません。

心は人間の体をまとっていますから、悪いことを考えても、見た目はわかりません。

しかし、悪い心を持っていると、それが体を薫習するよいうになり
なんとなく雰囲気の悪い人間になっていきます。

皆さんも「あの人といると、どうもマイナスな考えになってしまう
「気持ちが暗くなってしまう」というような経験をしたことはないでしょうか。

では、そういう自分は相手からどういう評価を受けているのか。

そう考えると、努力の種は尽きることがありません。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行21.

From : 田渕裕哉(2023/03/19 07:27:49)

2023年3月19日(日)
おはようございます。今朝も福島県の郡山からお届けします。
昨日は雪。今朝はいい天気です。

自分本位は良くないと思っている人ほど、実は「自分がない」ということから
逃げているだけかもしれない。自分はこういう人間だから、ということを
知っているということは「だから自分はこれを求めている」と言える人だ。

鏡やビデオに映った自分の姿を見て「自分ってこうなの?」
と恥ずかしくなった経験はないでしょうか?

客観的に見ると、自分の内面が、言動が、よく見えてきます。

立ったり座ったりする姿とか、話をする姿、お茶を飲む姿など、
自分が思っている以上に反省するところがたくさんあるのに気づきます。

この気づいた欠点を直していくのはとても大変で、とても面倒臭い作業です。

しかし、どんなに面倒臭くても「善いことをして悪いことをしない」という一つ
の人生の真理に到る道しるべを掴みとったならば、絶対に手放してはいけません。

人生とは常に悪しき心との睨めっこです。心が高まってくると、
とくに意識をしなくても、自然と自分の言動が理に適ってきます。

なぜかというと悪いことをした後にやってくるしっぺ返しの怖さがわかるからです。

しかし、そうなるまでは暗中模索の状態で、この先がどうなっているのかもわかりません。

わからないまま、次から次へとプレッシャーやストレスがやってきます。

生き方が下手なうちは、苦しみの矛先を他人に向けて、
自分の心をさらなる暗い闇の中へ落とし、悪循環を引き起こします>>>続きはこちらから

毎日が小さな修行20.

From : 田渕裕哉(2023/03/18 06:20:29)

2023年3月18日(土)
おはようございます。今朝は福島県の郡山からお届けしています。

最も素晴らしいこと。
「自分の能力を最大限に発揮する」「失敗は挑戦した証」
「自分のなりうることのできる最高の自分になるために、今、ベストを尽くしているか」
最も恥ずべきこと。
最善の努力をせず落ちぶれる自分を仕方ないとすること。「自滅」

昔の親は、大した情報を持っていなくても、口数が少なくても、
子供が尊敬するような部分があったように思います。

親の背中が無言で教えてくれていました。

子供にとっては窮屈だったかもしれませんが、教育とは本来、窮屈なものです。

自由奔放に育てていては脇芽が増えるだけです。

昔の子供たちは、そんな窮屈な中で、手探りで生きる道を考えていきました。

そういう環境がありました。ところが、今は聞き習いです。

聞いて自分が納得しないと動かない人が多いようです。

私たちの修行時代は見て習う、見習いでした。

そのときは意味がわからなくても納得できなくても、指摘を受けた
「すみません」と反省して、師匠や先輩のやっている通りに見て、
自分でやってみるうちに、だんだんとできるようになりました。

これが見習いの極意です。

そのときはわからなくてもいい。手探りでもいい。

ただ人を恨まず、憎まず、常に素直に自己を省みる反省の心と、
どんなささいなことからも学ぼうとする学びの心があれば、
いつか必ず真理が掴めます。

これがお坊さんになって二十五年経った、今の私の学びです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行19.

From : 田渕裕哉(2023/03/17 06:23:53)

2023年3月17日(金)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

「自分はどう理解したのか?」ということを考えるスペースをとっ
ノートをとる。それがノートをとるたびに賢くなる人たちの共通点
さらに「自分らしさ」と「創造力」が育つのだ!

学びの環境の中には、師匠以外にも先輩や後輩もいます。

自分より努力をしている人、怠け心に負けている人、ざまざまな人がいます。

その中で、どんな相手からも謙遜に学びとる心を持つ。それが大切です。

自分より優れている人を妬んだり、劣っている人を鼻で笑うようではいけません。

どちらも大切にしなければならないというのが正しい答えです。

自分よりも劣っている人を見たら、そこから何か一つ
学びとってくる心がけがなければなりません。

そして、自分より素晴らしい人を見たら、自分はここまで
至っていなかったと反省をしなければなりません。

どんな相手にも自分を謙遜に重ね合わせて、よく反省をし、よく学ぶ。

その先に自己の大きな成長があります。

人間は誰でも自分がかわいいので、皆から大切にしてもらいたいと思うものです。

自分自身を大切にしてもらいたかったならば、まず相手を気遣うことです。

さりげない思いやり、気遣いというものができると、
運も縁もどんどん良い方向に広がっていきます。

出会いは一期一会であっても、すべてがご縁です。縁ある人とは、
同じ電車に乗り合わせたようなものです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行18.

From : 田渕裕哉(2023/03/16 07:48:03)

2023年3月16日(木)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

多くの人が恐れている失敗や逆境は、むしろ、その人が本当に
望んでいる夢や理想を手に入れるようになるための近道だったりします。
なぜなら、夢や理想を叶えるうえで重要なのは、どんな方法をとるかよりも、
その夢や理想にふさわしい人間に、あなたが成長したかどうかだからです。

私は、気遣いのできる子供たちがたくさん育ってほしいと願っています。

心のこもった気遣いができる人は、単に自分の思いを相手に
押し付けるのではなくて、その人が何をしようとしているのか、
自分に何を望んでいるのかを、聞かなくても感じとって、さりげなく表現できます。

これが気遣いの極意だと思います。

私は、小さい頃からそういう面を親から徹底的に教育されましたので、
この点では師匠から叱られることはありませんでした。

私の師匠があるラジオ番組で語っていた、今でも忘れられない言葉があります。

「師匠というものは、弟子に教えることは一つもないんです」とおっしゃったのです。

その言葉を聞いたときは非常に驚きましたし、意味もよくわかりませんでした。

あれから十数年経って、ようやく「なるほど、こういうことなんだな」
とわかりはじめました。

要するに、後ろ姿で教える、そして同じ道場で生活をして日常から学びとって
もらうしかない、ということをいわれたのです。

師匠は、学問においても修行においても、達人のようなお方でした

しかし、それは悟りに向かう一つの方便にすぎません。

別の言葉でいうと「道しるべ」です。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行17.

From : 田渕裕哉(2023/03/15 06:44:17)

2023年3月15日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

愛するというのは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり
こちらが愛せば、きっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、
全面的に自分をゆだねることである。
愛とは、あなたにチャレンジを強いるもの。
愛とは、あなたの勇気を試すもの。

私の心にある信仰観は、一日の生活の中で善いことをして悪いことをしない。

朝起きると「今日も一日よろしくお願いします」と手を合わせ、
夜寝る前に「今日も一日ありがとうございました」と心で祈る。

これだけでも立派な信仰だと、私は思っています。

信仰と宗教とは違うものと、私の心の中で分けて考えています。

とかく現代は宗教でいうと、さまざまな決まり事に束縛されてしま
傾向がありますが、信仰は自分の心でするもの、たった一人でもできるもの。

信仰は、物でもなければ、形でもない、お金でもない。

お金をたくさん寄付したから神仏から優遇されるわけではありません。

私がこのような信仰観を持ったのは、古きよき日本の考え方が
残った家系に生まれたからかもしれません。

祖父もまるで幕末の人間かと思うくらい厳格でしかも人間味あふれる人でした。

祖母や母も信仰深く、思いやりのある人で深い世界で
本質的なものを心得ている人でした。

また学生の頃、母は私に勉強を強要しませんでした。

自分の人生だから自分で決めなさいと、自立と他人の協調を常々教育してくれました。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行16.

From : 田渕裕哉(2023/03/14 06:46:53)

2023年3月14日(火)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

自由な囚われのない眼で、人生を眺めることができれば、
私たちは無限の自由さが与えられる。
そして、自由さは、不自由さを自覚した人が、
常識や思い込みを飛び越えることで獲得できるものなのである。

人は生まれてくるときにも、いろいろな人のお世話になって、
一人前になるためにも、いろいろな人のお世話になって、
そして最後、旅立つときにも、いろいろな人の手を借ります。

振り返ってみれば、すべてが「すみません」「お世話になります」
という一言からはじまることばかりです。

自分の親に、師匠に「気まま、わがままな私に付き合って、
ここまでしてくれて本当にすみませんでした」という気持ちがあります。

私も、若い頃は血気盛んな頃もあったでしょう。

自分が正しくありたいとそれが正義だと、感情だけが先行して
周りの人に迷惑をかけたこともあったでしょう。

しかし、そんな心の脇芽をうまく摘みとってくれた、
今までご縁のあったすべての人に心から「すみませんでした」
という気持ちでいっぱいです。

「すみません」という常に自己を省みる気持ちがあると自然に
「ありがとうございます」という感謝の気持ちが出てきます。

人から蔑まれ、嫌なことをされても、笑顔で「ありがとうございます」
といえる心が和を生み功徳をつくります。

縁も、運も、自分の心から発するものです。

良き人と出会う、良き仕事と出会う、良き縁に恵まれるのも、
すべて陰ながらの功徳によるものです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行15.

From : 田渕裕哉(2023/03/13 07:24:45)

2023年3月13日(月)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。新しい1週間の始まりです!

人生には、山「成功」と谷(失敗)がある。しかし、そこでどう対処するかによって、
次が「谷」なのか「次の山」が決まる。どうなるかが「今この瞬間の態度次第」
ならば、そもそも「谷」も「山」も幻想でしかない。

「なぜ、千日回峰行をしたのですか」と、時折聞かれます。

自分を見つめたいとか、深く掘り下げたいとか、自分と対峙して心を高めたいとか、
そんなお話をすることが多いのですが、それは、あくまで後付でわかったことです。

ただ小さい頃「世界中の人が皆心が明るくなって、仲良くなったらいいのになぁ」
と純粋に思っていたからだと思います。

世の中、誰でも世界が平和になったらいいのにと願わない人はいません。

しかし、それを公にしていくのではなく、当たり前の日常において
出会った人とのご縁を大切にし、慈しみの心をもって与えられた
環境に従事して生き切ることが何よりも尊いことだと、今は思います。

それがお互いに響き渡って、やがて、広く世の中に
伝播していくのではないかと思うのです。

世界平和の看板を掲げている人が、意見の違う人といがみ合ったり
切った張ったのけんかをしていたのでは、平和からどんどん遠のくばかりです。

それよりも、誰が見ていても見ていなくても、出会った人を大切に思いやり、
自分に与えられた仕事を精一杯やって、今日一日を生き切る人こそ本物だと思います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行14.

From : 田渕裕哉(2023/03/12 05:38:50)

2023年3月12日(日)
おはようございます。今朝は新潟からです。今日は佐渡に行きます

勇気も、決断も、すべては「これは100パーセント疑いようがない真実だ」
という第一原理から生まれる。あなたの人生で心の底からYESだと思えることは何だろう?

良き師匠に出会うには、日常の徳を積むことが大切です。

自分が前世から積んでいた功徳、あるいは先祖が積んでくださった功徳もあるでしょう。

日常、善き心がまえをもち、善なる行をしていると、必ず良き師と出会える。

師匠はそういわれました。

ある意味、自分の人生は、自分の心によって、そして行いによって大きく変わるものです。

すべて徳の問題になるわけです。

師匠と真剣に見つめ合って、お互いの人格をぶつけ合ってなされる教育は、
非常に窮屈なものです。

ときには、弟子を鍛えるために、師匠はわざと無理難題をいったり
辻褄の合わないこともあります。

それでも、私がどんなことがあっても師匠について行くことができたのは、
幼年期に母が教えてくれた「親に口答えしない」という土台があったからです。

その土台は、やがて目上の人、年長者に対してどんなときでも
敬意をもって接するということにつながりました。

また「好き嫌いをしない」という教えは、どんな仕事でも
好き嫌いなく精一杯させていただくという心に結びついています。

「約束を守って嘘をつかない」という教えは、自分自身をよく見せたいために、
自分の都合よく話をつくらないという心に結びついて信頼を得ています。 >>>続きはこちらから