毎日が小さな修行29.

From : 田渕裕哉(2023/03/27 06:14:08)

2023年3月27日(月)
おはようございます。今朝も大阪からお届けしています。

業界の中で、あなたの企業はどのような強み/弱みをもっていて、
どうやって勝ち残っていこうとしているのかを全社員が説明できるようにしよう!

当然、曇りの日もあれば、雨の日もあると思います。悲しいときには、
夜、布団に入って涙を流せばいいでしょう。

どうせ一生泣き続けることはできないのですから、泣きたいときには泣けばいいのです。

でも、朝起きたら、笑顔で「今日も頑張るぞ、お天道様のような存在になろう」
と思って一日をはじめれば、やがて周りが変わっていくと思います

まず自分が変わることによって、環境が変わるのです。

お月様のような人と前より楽につきあえるようになったとすれば、
それは相手が変わったのではなくて、自分の心が変わっただけです

心から光を放つような存在になると、あらゆるものにとらわれなくなります。

このとらわれがなくなり、大自然の真理と一体になった心が備わったとき、
とても楽な生き方ができるようになります。

お天道様のような存在も、お月様のような存在も、
混然一体となっているのが私たちの社会です。

縁があって生まれたこの星でどうせ生きていくのならば、
笑顔を絶やさず、皆に喜びを分け与えていけるような存在になることが、
一番上手な生き方ではないでしょうか。

あるべきように生きるために、精進してまいりましょう。

どんな人の心の中にも、とても優しい思いやりの心があります。

その気持ちを周りの人に素直に表現すれば、周りの人たちはとても喜んでくれて、
また周りから慕われ、皆が幸せになります。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行28.

From : 田渕裕哉(2023/03/26 07:19:18)

2023年3月26日(日)
おはようございます。今朝は雨模様の大阪からです。

「夢」+「期日」+「理由(夢を求める動機)」の3点を書く習慣をもつ。
すると、日々のなかで、その夢に関係することが、直感でわかるようになる。

山に入って特別な修行をした人でなければ悟れないということではありません。

それぞれに与えられた人生があります。

与えられた役割というものがあります。

そうした与えられた環境の中で、心の闇としか思えない部分を
光あるほうへと転じていく努力が大切なのです。

そうすれば、いつか気づくことができます。

お釈迦様は、人間には四種類の生き方しかないと申されましたが、
私は、人間には二種類あると思っています。

前にも述べたように、宇宙には自ら光を放つ星と
その光に照らされる星の二つがあります。

これは人間も同じです。

お天道様のように人を元気にさせてあげたいと常に元気で明るい
笑顔で人と接している人と、そういう人の優しさとか愛情が
もっと欲しいと思っているだけの人がいます。

お天道様のような人は、どんな苦しみや悲しみがあっても我慢して
周りに明るさを振りまいている存在です。

決して強いわけでもないし、人と違う力を持っているわけでもないのに、
どんな状況にいても笑顔を絶やさない素晴らしい人です。

でも、そういう人でも「もっと欲しい」という闇の心を持っている人を
ずっと照らし続けていると疲れてしまって「なぜ、どうして」と
悩んでしまうかもしれません。

そう思うようになると、運とか縁が裏目に出ていくように思います>>>続きはこちらから

毎日が小さな修行27.

From : 田渕裕哉(2023/03/25 05:58:04)

2023年3月25日(土)
おはようございます。今朝は浜松町のホテルからお届けしています

あなたのストーリーを語り、ブランドにしよう!
1.なぜその仕事をしているのか?動機は何か?目的は何か?
2.これからどこに向かい、何をしていこうとしているのか?
3.自分は、どうやって周囲と信用、信頼、関係性をつくっていくのか?

山の中に入れば、お天道様がさんさんと輝いていて、虫たち、鳥たち、
きれいな草花、木といったものが渾然と一体となって生きています

そうした大自然の中から自分自身を省みて、感謝しながら、
少しずつこの世の真理をうなずきとっていく。

それが私に与えられた役目です。

人間には四種類の生き方しかないということを、お釈迦様が説いています。

一つ目は光から光の世界で生きていく人間、
二つ目は光から闇の世界へ生きていく人間、
三つ目は闇から闇の世界へ生きていく人間、
そして四つ目は闇を転じて光のある世界へと生きていく人間です。

闇というのは、私たち人間の心のあらゆるとらわれを指すわけですが、
これには際限がありません。

この闇の部分に気づかないまま、他人に対して「なぜ、どうして」
ばかりとらわれていると、自分もいつか闇の世界に落ちてしまいます。

明るく穏やかな光ある世界へと導かれるためには、
相手のマイナス的なとろこにとらわれず、割り切って、
忘れて、捨てて、許すことが大切です。

二千五百年も前にお釈迦様が説かれた教えは、今の私たちにも共通します。

ということは、人間がこの星に誕生してからずっと、
心穏やかに生きていくためにはそれしか方法がないということなのでしょう。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行26.

From : 田渕裕哉(2023/03/24 06:29:28)

2023年3月24日(金)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

私たちは広い意味での怖さというものを自ら求めて、でも、常に心
抱いて、それに怖れを感じつつ、日々努力を続けていくことが大切

何か指摘されたときには、そこで大反省をする。

胸をえぐられるような痛みを伴うかもしれません。

しかし、その瞬間に、恥ずかしいことをした、申し訳ないことをしたと
感じとれるようなルールがあるから師弟関係は続くのです。

このルールを小さな頃にしっかり教えると、
いくらっ厳しく叱っても親子関係は壊れません。

私たちが、なぜ事故を起こさずに車の運転ができるかというと、
赤は止まれ、青は進め、曲がるときにはウインカーを出す、
といった道路交通法というルールがあるからです。

それを守っていれば事故にならないのです。

人と人の関係にも礼儀というルールがあります。

自分に注意をしてくれる人を仏様がかわりに教えてくださっている
のだと思ってもいいでしょう。

嫌な思いをすることも、つらい思いをすることもあるでしょう。

しかし、それをすべていい思い出に変えていくためには、
それなりのルールというものがあるのです。

人生とは常に挫折と挑戦の繰り返しです。

上手でも下手でも精一杯させていただくところに、必ず道は開けます。

一番大切なのは、精一杯ということです。

だらだらと生きても一日は一日、精一杯生きても一日は一日です。

毎朝、目を覚ますたびに、生まれ変わった気持ちで、
熱い情熱を持ってスタートする。

過去はどんなに振り返っても、取り返すことはできません。

すべて忘れて、捨てて、また新たに情熱を持って精一杯生きさせていただく。

そういう気持ちが道を開いていきます。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行25.

From : 田渕裕哉(2023/03/23 06:45:57)

2023年3月23日(木)
おはようございます。今朝は愛媛県の花の森ホテルからお届けしています。

効果的な謝罪は、1.真実を語り 2.うまくいかなかった原因を証拠に
基づいて、あなたが明確に理解していることを示した上で、3.問題に
ついて公になっているほかの情報と噛み合う説明をしたときだけ、
信頼を回復することができます。

今の時代は、褒めて育てるという風潮があるせいか、自分の気に食わないことを
いわれると、すぐにむっとした気持ちを表情に出してしまう人が多くなりました。

人から注意されたり指摘をされたりする機会がないままに育ってきたのでしょう。

誰でも、人から欠点や過ちを指摘されるのは嫌なものです。

私も自分の足りなさを指摘されたならば、心がえぐられるくらい、
つらい気持ちになります。

でも、とくに戦前の教育を受けた人は、親や祖父母から、指摘されて嫌だなと
思っても、自分の足りなさを心底から反省するようにと教えられて育ちました。

それが社会のルールでもありました。

しかし、その後は褒めて育てるという時代が長く続いた結果、今では何か嫌な
ことがあると、反省をする前に、むっとしてしまうようになってしまいました。

その結果、叱られると反発し、争いになってしまうことが多くなり
社会がぎすぎすしてきました。

人間ですから、いろんな主義・主張はあるでしょう。

すべての人が同じ考えというものでもありません。お寺もそうです

しかし、強い我がある限り、穏やかな心にはなれません。

お寺では師匠から悪いところを叱られ続けます。

弟子から恨まれないような師匠は失格だといわれるくらい、
師匠は弟子を厳しく叱ります。

全人格をぶつけ合って、悪いところを指摘して、師匠が軌道修正を
してくださるわけです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行24.

From : 田渕裕哉(2023/03/22 06:14:35)

2023年3月22日(水)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。今日は松山へ行きます!

すべては志からはじまります。志とは、自分の利益ではなく、
すべての人の利益に目を向けること。
インパクトの少ないことを100個手に入れるより、
すべてが変わるたった1つを求めよう!

私たち修行僧の仲間は、何があったのか皆知っていました。

しかし、師匠の弟さんはお寺では結構な立場の方でしたから、師匠から
「最近、中井さん来いへんな」といわれても、誰も何もいいませんでした。

ある日、私は師匠に呼ばれました。

「最近、中井さんが来いへんけども、理由、知っておるか」と師匠は私に聞きました。

私が「理由は知っております。
しかし、私の口からは申し上げることはできません」と答えると
「わしは当事者には何もいわんし。君が一番親しいんだから、
何か知っていたら話してくれ」といいました。

師匠にそういわれ、私はありのままに話しました。

そして、中井のおじさんが「本山の事務所には二度と足を向けない
本尊さんに対する気持ちは何も変わらないので、たまにお参りには来るけど、
手伝いには二度と来ない」といって帰られましたと伝えました。

すると師匠は「よし、わかった。よくいってくれた。ありがとう」といい
「当事者には何もいわない」といっていたにもかかわらず、
すぐに弟さんを呼んで説教をされました。

その方とは毎日顔を合わせますし、昼と夜のご飯も一緒に食べますから、
身が縮こまるような思いでした。

でも、弟さんは私を絶対に責めませんでした。

また、今となれば私も師匠と同じことをするだろうと思います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行23.

From : 田渕裕哉(2023/03/21 06:10:27)

2023年3月21日(火・祝)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

偉大なリーダーは、最初はただ自分の人生を生き、自分を存分に
表現したいと考えていたにすぎない。そして他者と交わり、自分の
習得したスキル、才能、エネルギーをすべて使って、自分のビジョンを
はっきりと示す。最初に思い描いた自分を目指し、そのプロセスを楽しむ。

上手でも下手でも精一杯勤めさせていただくことが大事です。

達人といわれる人でも、初めて体験することは、その第一歩からはじまっていきます。

一歩一歩を積み重ねることによって、
やがて達人といわれるるような境地に達していくのです。

私がお坊さんになった二十五年前の話です。

得度式のとき、師匠は弟子になるすべての者の頭にカミソリを当てました。

そして、仏縁があって仏の弟子となり日常の修行を積んでいく弟子たちに
「自分が人から尊重されたかったならば、まず初めに目の前の人を尊重することである」
という話をされました。

それ以降、何百回、同じ話を聞いたかわかりません。

この「まず初めにどんな人をも尊重する」ということで、思い出に残る話があります。

修行生活がはじまって何年かした頃、お寺が忙しいときに来る
中井のおじさんという人と出会い、親交を深めていきました。

その方は本山の信徒で、本山が忙しくなると、
わざわざ伊勢のほうからお寺まで手伝いにきてくれるのです。

聞いたところによると、昔は非常に気性が激しかったそうですが、
父親の病気を機に、信仰の世界を大事にするようになったということでした。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行22.

From : 田渕裕哉(2023/03/20 07:27:01)

2023年3月20日(月)
おはようございます。今朝はいい天気の千葉からです。

繁栄する企業の持つ2つのもの。
1.「大切にしていきたいもの」を決め、100パーセント一貫して守り続ける。
2.それ以外は、100パーセントのエネルギーで、すべてを変え続けること。

薫習とは、お香が衣などにその薫りを自然に移していつまでも残ることです。

それと同じように、自らの行為が相手の心に習慣となって残っていくのです。

お坊さんは、体からお香の薫りがするようになって初めて一人前といわれます。

人生の原点は、慈しみの心を持ち善い行いをすることです。

ものすごくシンプルで、簡単で、当たり前のことですが、
心の中でそう思っても、頭の中で考えても、それだけでは何もなりません。

ただただ繰り返し心がけることが大切です。

そうすると、自然にその人がとても良い雰囲気の人間になってきます。

いろいろな知識を詰め込んでも、人間的に魅力がないと、
人を魅了することはできません。

心は人間の体をまとっていますから、悪いことを考えても、見た目はわかりません。

しかし、悪い心を持っていると、それが体を薫習するよいうになり
なんとなく雰囲気の悪い人間になっていきます。

皆さんも「あの人といると、どうもマイナスな考えになってしまう
「気持ちが暗くなってしまう」というような経験をしたことはないでしょうか。

では、そういう自分は相手からどういう評価を受けているのか。

そう考えると、努力の種は尽きることがありません。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行21.

From : 田渕裕哉(2023/03/19 07:27:49)

2023年3月19日(日)
おはようございます。今朝も福島県の郡山からお届けします。
昨日は雪。今朝はいい天気です。

自分本位は良くないと思っている人ほど、実は「自分がない」ということから
逃げているだけかもしれない。自分はこういう人間だから、ということを
知っているということは「だから自分はこれを求めている」と言える人だ。

鏡やビデオに映った自分の姿を見て「自分ってこうなの?」
と恥ずかしくなった経験はないでしょうか?

客観的に見ると、自分の内面が、言動が、よく見えてきます。

立ったり座ったりする姿とか、話をする姿、お茶を飲む姿など、
自分が思っている以上に反省するところがたくさんあるのに気づきます。

この気づいた欠点を直していくのはとても大変で、とても面倒臭い作業です。

しかし、どんなに面倒臭くても「善いことをして悪いことをしない」という一つ
の人生の真理に到る道しるべを掴みとったならば、絶対に手放してはいけません。

人生とは常に悪しき心との睨めっこです。心が高まってくると、
とくに意識をしなくても、自然と自分の言動が理に適ってきます。

なぜかというと悪いことをした後にやってくるしっぺ返しの怖さがわかるからです。

しかし、そうなるまでは暗中模索の状態で、この先がどうなっているのかもわかりません。

わからないまま、次から次へとプレッシャーやストレスがやってきます。

生き方が下手なうちは、苦しみの矛先を他人に向けて、
自分の心をさらなる暗い闇の中へ落とし、悪循環を引き起こします>>>続きはこちらから

毎日が小さな修行20.

From : 田渕裕哉(2023/03/18 06:20:29)

2023年3月18日(土)
おはようございます。今朝は福島県の郡山からお届けしています。

最も素晴らしいこと。
「自分の能力を最大限に発揮する」「失敗は挑戦した証」
「自分のなりうることのできる最高の自分になるために、今、ベストを尽くしているか」
最も恥ずべきこと。
最善の努力をせず落ちぶれる自分を仕方ないとすること。「自滅」

昔の親は、大した情報を持っていなくても、口数が少なくても、
子供が尊敬するような部分があったように思います。

親の背中が無言で教えてくれていました。

子供にとっては窮屈だったかもしれませんが、教育とは本来、窮屈なものです。

自由奔放に育てていては脇芽が増えるだけです。

昔の子供たちは、そんな窮屈な中で、手探りで生きる道を考えていきました。

そういう環境がありました。ところが、今は聞き習いです。

聞いて自分が納得しないと動かない人が多いようです。

私たちの修行時代は見て習う、見習いでした。

そのときは意味がわからなくても納得できなくても、指摘を受けた
「すみません」と反省して、師匠や先輩のやっている通りに見て、
自分でやってみるうちに、だんだんとできるようになりました。

これが見習いの極意です。

そのときはわからなくてもいい。手探りでもいい。

ただ人を恨まず、憎まず、常に素直に自己を省みる反省の心と、
どんなささいなことからも学ぼうとする学びの心があれば、
いつか必ず真理が掴めます。

これがお坊さんになって二十五年経った、今の私の学びです。 >>>続きはこちらから