毎日が小さな修行19.

From : 田渕裕哉(2023/03/17 06:23:53)

2023年3月17日(金)
おはようございます。今朝は曇りの千葉からです。

「自分はどう理解したのか?」ということを考えるスペースをとっ
ノートをとる。それがノートをとるたびに賢くなる人たちの共通点
さらに「自分らしさ」と「創造力」が育つのだ!

学びの環境の中には、師匠以外にも先輩や後輩もいます。

自分より努力をしている人、怠け心に負けている人、ざまざまな人がいます。

その中で、どんな相手からも謙遜に学びとる心を持つ。それが大切です。

自分より優れている人を妬んだり、劣っている人を鼻で笑うようではいけません。

どちらも大切にしなければならないというのが正しい答えです。

自分よりも劣っている人を見たら、そこから何か一つ
学びとってくる心がけがなければなりません。

そして、自分より素晴らしい人を見たら、自分はここまで
至っていなかったと反省をしなければなりません。

どんな相手にも自分を謙遜に重ね合わせて、よく反省をし、よく学ぶ。

その先に自己の大きな成長があります。

人間は誰でも自分がかわいいので、皆から大切にしてもらいたいと思うものです。

自分自身を大切にしてもらいたかったならば、まず相手を気遣うことです。

さりげない思いやり、気遣いというものができると、
運も縁もどんどん良い方向に広がっていきます。

出会いは一期一会であっても、すべてがご縁です。縁ある人とは、
同じ電車に乗り合わせたようなものです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行18.

From : 田渕裕哉(2023/03/16 07:48:03)

2023年3月16日(木)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

多くの人が恐れている失敗や逆境は、むしろ、その人が本当に
望んでいる夢や理想を手に入れるようになるための近道だったりします。
なぜなら、夢や理想を叶えるうえで重要なのは、どんな方法をとるかよりも、
その夢や理想にふさわしい人間に、あなたが成長したかどうかだからです。

私は、気遣いのできる子供たちがたくさん育ってほしいと願っています。

心のこもった気遣いができる人は、単に自分の思いを相手に
押し付けるのではなくて、その人が何をしようとしているのか、
自分に何を望んでいるのかを、聞かなくても感じとって、さりげなく表現できます。

これが気遣いの極意だと思います。

私は、小さい頃からそういう面を親から徹底的に教育されましたので、
この点では師匠から叱られることはありませんでした。

私の師匠があるラジオ番組で語っていた、今でも忘れられない言葉があります。

「師匠というものは、弟子に教えることは一つもないんです」とおっしゃったのです。

その言葉を聞いたときは非常に驚きましたし、意味もよくわかりませんでした。

あれから十数年経って、ようやく「なるほど、こういうことなんだな」
とわかりはじめました。

要するに、後ろ姿で教える、そして同じ道場で生活をして日常から学びとって
もらうしかない、ということをいわれたのです。

師匠は、学問においても修行においても、達人のようなお方でした

しかし、それは悟りに向かう一つの方便にすぎません。

別の言葉でいうと「道しるべ」です。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行17.

From : 田渕裕哉(2023/03/15 06:44:17)

2023年3月15日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

愛するというのは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり
こちらが愛せば、きっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、
全面的に自分をゆだねることである。
愛とは、あなたにチャレンジを強いるもの。
愛とは、あなたの勇気を試すもの。

私の心にある信仰観は、一日の生活の中で善いことをして悪いことをしない。

朝起きると「今日も一日よろしくお願いします」と手を合わせ、
夜寝る前に「今日も一日ありがとうございました」と心で祈る。

これだけでも立派な信仰だと、私は思っています。

信仰と宗教とは違うものと、私の心の中で分けて考えています。

とかく現代は宗教でいうと、さまざまな決まり事に束縛されてしま
傾向がありますが、信仰は自分の心でするもの、たった一人でもできるもの。

信仰は、物でもなければ、形でもない、お金でもない。

お金をたくさん寄付したから神仏から優遇されるわけではありません。

私がこのような信仰観を持ったのは、古きよき日本の考え方が
残った家系に生まれたからかもしれません。

祖父もまるで幕末の人間かと思うくらい厳格でしかも人間味あふれる人でした。

祖母や母も信仰深く、思いやりのある人で深い世界で
本質的なものを心得ている人でした。

また学生の頃、母は私に勉強を強要しませんでした。

自分の人生だから自分で決めなさいと、自立と他人の協調を常々教育してくれました。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行16.

From : 田渕裕哉(2023/03/14 06:46:53)

2023年3月14日(火)
おはようございます。今朝は小雨の千葉からです。

自由な囚われのない眼で、人生を眺めることができれば、
私たちは無限の自由さが与えられる。
そして、自由さは、不自由さを自覚した人が、
常識や思い込みを飛び越えることで獲得できるものなのである。

人は生まれてくるときにも、いろいろな人のお世話になって、
一人前になるためにも、いろいろな人のお世話になって、
そして最後、旅立つときにも、いろいろな人の手を借ります。

振り返ってみれば、すべてが「すみません」「お世話になります」
という一言からはじまることばかりです。

自分の親に、師匠に「気まま、わがままな私に付き合って、
ここまでしてくれて本当にすみませんでした」という気持ちがあります。

私も、若い頃は血気盛んな頃もあったでしょう。

自分が正しくありたいとそれが正義だと、感情だけが先行して
周りの人に迷惑をかけたこともあったでしょう。

しかし、そんな心の脇芽をうまく摘みとってくれた、
今までご縁のあったすべての人に心から「すみませんでした」
という気持ちでいっぱいです。

「すみません」という常に自己を省みる気持ちがあると自然に
「ありがとうございます」という感謝の気持ちが出てきます。

人から蔑まれ、嫌なことをされても、笑顔で「ありがとうございます」
といえる心が和を生み功徳をつくります。

縁も、運も、自分の心から発するものです。

良き人と出会う、良き仕事と出会う、良き縁に恵まれるのも、
すべて陰ながらの功徳によるものです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行15.

From : 田渕裕哉(2023/03/13 07:24:45)

2023年3月13日(月)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。新しい1週間の始まりです!

人生には、山「成功」と谷(失敗)がある。しかし、そこでどう対処するかによって、
次が「谷」なのか「次の山」が決まる。どうなるかが「今この瞬間の態度次第」
ならば、そもそも「谷」も「山」も幻想でしかない。

「なぜ、千日回峰行をしたのですか」と、時折聞かれます。

自分を見つめたいとか、深く掘り下げたいとか、自分と対峙して心を高めたいとか、
そんなお話をすることが多いのですが、それは、あくまで後付でわかったことです。

ただ小さい頃「世界中の人が皆心が明るくなって、仲良くなったらいいのになぁ」
と純粋に思っていたからだと思います。

世の中、誰でも世界が平和になったらいいのにと願わない人はいません。

しかし、それを公にしていくのではなく、当たり前の日常において
出会った人とのご縁を大切にし、慈しみの心をもって与えられた
環境に従事して生き切ることが何よりも尊いことだと、今は思います。

それがお互いに響き渡って、やがて、広く世の中に
伝播していくのではないかと思うのです。

世界平和の看板を掲げている人が、意見の違う人といがみ合ったり
切った張ったのけんかをしていたのでは、平和からどんどん遠のくばかりです。

それよりも、誰が見ていても見ていなくても、出会った人を大切に思いやり、
自分に与えられた仕事を精一杯やって、今日一日を生き切る人こそ本物だと思います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行14.

From : 田渕裕哉(2023/03/12 05:38:50)

2023年3月12日(日)
おはようございます。今朝は新潟からです。今日は佐渡に行きます

勇気も、決断も、すべては「これは100パーセント疑いようがない真実だ」
という第一原理から生まれる。あなたの人生で心の底からYESだと思えることは何だろう?

良き師匠に出会うには、日常の徳を積むことが大切です。

自分が前世から積んでいた功徳、あるいは先祖が積んでくださった功徳もあるでしょう。

日常、善き心がまえをもち、善なる行をしていると、必ず良き師と出会える。

師匠はそういわれました。

ある意味、自分の人生は、自分の心によって、そして行いによって大きく変わるものです。

すべて徳の問題になるわけです。

師匠と真剣に見つめ合って、お互いの人格をぶつけ合ってなされる教育は、
非常に窮屈なものです。

ときには、弟子を鍛えるために、師匠はわざと無理難題をいったり
辻褄の合わないこともあります。

それでも、私がどんなことがあっても師匠について行くことができたのは、
幼年期に母が教えてくれた「親に口答えしない」という土台があったからです。

その土台は、やがて目上の人、年長者に対してどんなときでも
敬意をもって接するということにつながりました。

また「好き嫌いをしない」という教えは、どんな仕事でも
好き嫌いなく精一杯させていただくという心に結びついています。

「約束を守って嘘をつかない」という教えは、自分自身をよく見せたいために、
自分の都合よく話をつくらないという心に結びついて信頼を得ています。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行13.

From : 田渕裕哉(2023/03/11 07:03:42)

2023年3月11日(土)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

「今日、1日の区切りで生きる」習慣を身に付けよう。
太陽が没するまでなら、誰でも快活に、辛抱強く、親切に生きられる。
昨日は夢であり、明日は予感である。今日だけが真実だ!

生きていれば日々いろいろなことが起こりますが、すべてプラスに考えて、
マイナスもプラスに転じる努力をしていく。

自分がどんなに辛くても、自分の縁のあった環境の中で何事にもとらわれず、
自然体で輝き続ける努力をしていくと、自分も周りも自然と幸せになっていきます。

さて、今、自分がこのように在るのは、まず私を生んで
そして育ててくれた親がいて、そして修行の道に導いて
くださった師匠のおかげだと心から感謝しております。

子供の頃に育ててくれた母は、礼儀や挨拶はもちろんのこと、
他人に対する思いやりなど、細かなことでも生き届いていない
ところがあると、厳しく私を教育してくれました。

「どうして自分の家はこんなに窮屈なのかな」と子供の頃は思ったものです。

しかし、社会に出ると、あのときの母の厳しい教育が
あったからこそ今の自分があるのだと気づくようになり、
厳しさをありがたさとして受け取ることができるようになりました

特に親に口答えをしない。好き嫌いをしない。約束を守って嘘をつかない。

この三つに関しては、母は特に厳しかったように思います。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行12.

From : 田渕裕哉(2023/03/10 08:05:27)

2023年3月10日(金)
おはようございます。今朝もいい天気の朝の千葉からです。

成功の秘訣は、誰かよりも卓越しようとするのではなく、
誰かにとっての卓越した存在になろうとすること。

お天道様のような人は、周りに幸せを、笑顔を、
明るさを与えようと精一杯努力をしている人です。

お月様のような人は、誰かに照らしてもらいたい、
優しい言葉をかけてもらいたいと待っている人です。

この与えるほうの人は、お月様のように自分から光を発していない
人に対しても、周りが明るくなるような存在になってほしいと思い
いろいろとアドバイスをします。

しかし、いくらいいアドバイスをもらっても、それを受けるほうの人が
自分で研究心・探求心を持って創意工夫して、自分から明るさを
発するように努力して変わっていかなければ、闇の中からは抜け出せません。

二千五百年も前にお釈迦様は、与えられるのを待っている人から
自分で転換して、明るい方向へ歩んで来ないと幸せにはなれない
ことをお示しになりました。

たとえば、家族の中に一人でもお天道様のような人がいたら、
その家は暗くなりません。

ところが、家族全員が求めている人ばかりだったら
「どうして、なんで」とお互いに相手の欠点ばかりを指摘して、
喧嘩が絶えない険悪な雰囲気になってしまいます。

これは会社も同じでしょう。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行11.

From : 田渕裕哉(2023/03/09 07:02:48)

2023年3月9日(木)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

努力には「直接」と「間接」の2つがある。
1.直接の努力の方向は間違っていなかったか?
2.間接の努力は十分にされていたか?
努力を努力と思っていない人。これを努力を極めし人なり。

たとえば、勢いのある大きな炎でも、初めは小さな炎からはじまります。

私たちの人生も同じだと思うのです。

それを絶やすことなく燃やし続けるうちに、だんだんと大きな炎になります。

さらに燃やし続けると、やがて年老いて炎も弱まり、
最後は消えて土に還り、多くの若木の肥やしとなります。

始まりがあれば終わりがあるというのは、この世の常です。

森羅万象すべてが生じて、盛んになって、そしてまた滅していく。

そこには恨みも憎しみも妬みも似合いません。

この炎をわがままという心や我欲という水で消してはいけません。

上手に絶やすことなく最後の一息まで美しい炎を保ち続けていくことが、
私たちが生まれ持った定めではないかと思います。

そしてこの定めの通りに生きて、若い人たち、これからの世代の人たちの
お手本となるような姿を心の中に残してあげることができたならば
とても幸せな人生だと思うのです。

さて、第三者が自分をどう見ているかはなかなかわかりません。

自分の目は他人に向いていますが、他人が自分から受ける印象が
どういうものなのかはわかりにくいものです。 >>>続きはこちらから

毎日が小さな修行10.

From : 田渕裕哉(2023/03/08 07:59:14)

2023年3月8日(水)
おはようございます。今朝もいい天気の千葉からです。

「あなたは何のテーマを追いかけているのか?」
「問い」のないところに「学び」はない。
そして「問い」を生み出すのは「好奇心」と「情熱」と「出会い」

人間が迷うのは自分の思い通りにならないことがあるからです。

どうにもならないことをどうにかしたいと思うわがままな心がなくなれば、
迷いもなくなります。

この心理に気づくと、他人との争いや、問題もすくなくなると思います。

この天地の素晴らしい道理に則して生きていくと、
良い縁、良い運がどんどん巡ってきます。

その良い縁に導かれて精一杯努力の火を燃やし続けて、
上手な生き方をすればいいのです。

人の目を気にして自分を良く見せようとしたり、自分さえよければ
他人はどうでもいいという考え方は、とても下手な生き方です。

迷いの世界に落ちるような生き方です。

かしこく生きるのではなくて人生を上手に生きる。

このコツを掴んでしまうと、
非常に楽しく心軽やかな生き方ができるようになります。

そのポイントは、常に素直で謙虚な心でいること。

そして感謝・反省・敬意の気持ちを持つこと。

そういう姿勢で天地の法則に則して生きていれば、
人間関係のトラブルはほとんど回避できます。

もし、トラブルが起こったとき、どちらが良いか悪いかは五分五分です。 >>>続きはこちらから